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2024.04.24

特集

日本遺産巡り#33◆森に育まれ、森を育んだ人々の暮らしとこころ ~美林連なる造林発祥の地“吉野”~

日本の林業発祥の地とされる、奈良県吉野地域。およそ500年にわたり続いている林業は、日本最大の人工林を含む深い森を育み、神聖視される自然林と人々の間との「調和のとれた関係」を象徴しています。

吉野地域の中でも、川上村は「源流の村」として知られており、林業文化の中心として重要な役割を果たしています。今回は川上村に訪れ、現地の方々に森と水と林業の関係、そして文化や森を守るための取り組みについてお話を伺いました。

川上村を知るために、
初めに訪れたい「森と水の源流館」

森と水の源流館 看板 森と水の源流館 看板

「森と水の源流館」は、展示や体験プログラムを通じて、森林や水源の大切さを伝え、自然との共生を改めて感じさせてくれる場所です。森林の持続可能な管理や水源の保全、自然環境の価値について学ぶことができます。

同館 企画調査班 主事 古山 暁さんに、館内をご案内いただきながら、縄文時代から続く吉野地域の歴史と、林業と生活との関係についてお話を伺いました。

森と水の源流館 企画調査班 主事 古山 暁さん 森と水の源流館 企画調査班 主事 古山 暁さん

古山さん:川上村には500年間続く林業があり、500年間手つかずの天然林が残されてきました。水源地の村としての責任を果たす決意を示した「川上宣言(※)」の具現化策として、その天然林を「吉野川源流-水源地の森」として保全し、暮らし続けられる村づくりに取り組んでいます。川上村から川上宣言の中に「豊かな生活」とありますが、これは物質的な豊かさではなく、心の豊かさ、生活における違う側面での豊かさを表現しています。この豊かな生活を築いていくことを、都市や平野の人たちにも伝える方法として、豊かな自然の価値に触れ合ってもらう仕組みがあります。地域資源を活用することで自分たちの郷土に誇りを持てるようになるこの仕組みづくりは、これから育つ子供たちの感性を育て、郷土を愛する心につながります。このような循環の仕組みを広めていくことは、世界人類の見本になります。今、SDGsと言われますが、日本人が元々持っている自然との付き合い、暮らし方ではないでしょうか。
※川上宣言:1996年、川上村の住民と下流域の人々が、かけがえのない水と森を守るために全国に発信した宣言。源流の地としての川上村の使命や取り組みについて書かれている。

水源地の村づくり 公式ページ

人の手が入っていない天然林の様子を再現したジオラマ 人の手が入っていない天然林の様子を再現したジオラマ

水源地の森の様子を館内のスクリーンで見ることができます 水源地の森の様子を館内のスクリーンで見ることができます

古山さん:水源地の森には、トガサワラやブナ、トチノキなど実の生る木があります。川上村は急峻な地形のため田んぼに適していなかったので、お米が貴重だったため、餅にトチの実を混ぜ、かさ増しをしていたものがトチ餅です。トチの実はそのままだと灰汁が強いですが、清流に晒したり、燃料として使用した木の灰を使ったりして灰汁抜きができます。木というものはエネルギー源であり建材であり、食にも関わるものだったのです。さらに、木の実があるところには、食料となる動物も集まります。だから、縄文時代からここに人が住んでいたのですね。

古山さん:飛鳥時代、奈良時代には吉野の地に離宮が置かれていました。橿原や奈良から吉野まで歩くとかなりの距離になりますが、それでも訪れたい神聖な場所だったのだと思います。大滝ダム建設に伴い丹生川上神社が移築することになり、その際に調査を行ったところ、縄文時代の遺跡が出てきました。さらに、東北地方に多いとされる環状列石(ストーンサークル)が見つかりました。西日本ではとても珍しく、ここは「祈りの場」だったのではないかと考えられています。その上に丹生川上神社が建設されていたことも不思議な話ですよね。かなりのパワースポットなのではないかと思います。

古山さん:ただ、居住の跡が5棟しかないにも関わらず、石皿などが数多く出ていること、異なる種類の土器が出ていることから、縄文時代は定住の場所というより、狩猟採集のためのベースキャンプとして使われていたのではないかと考えられています。わざわざここまで、さまざまな地域から人が来ていたということは、その頃から恵みの多い場所だったと考えられます。

古山さん:森の木が育つことで田畑を潤す水が生まれ、人々の生活で適切に使われることによって適度な栄養を含んだ水が下流まで届き、豊かな海で美味しい魚が獲れます。熊野灘で獲れた鯖は保存のため塩漬けにされ、東熊野街道を通って川上村へ届きました。貴重な海の魚と里のお米を使ったお寿司を大切に食べるため、柿の葉で包んで保存性を高めました。それが、構成文化財でもある「柿の葉寿司」のはじまりで、家庭料理が吉野の名物になったのです。森から生まれた水が育くむ「恵」のつながりと言えますね。このような文化的な側面からも下流中流とのつながりが見えてくるし、自然環境と文化の関係性に気付くと、「森や水がなかったら生きていけないよね」というところにたどり着く。今、私たちが当たり前に享受している自然の恵みは、誰が守ってきたのか、誰が作り上げてきたのかを考えた時に、吉野は誇りを持って「林業をやってきたおかげ」と言えるのです。暮らしを紐解くことによって、日本人の元々の心がわかりますよね。

森と水の源流館 森と水の源流館

【森と水の源流館】
所在地 奈良県吉野郡川上村宮の平(迫1374-1)
電話番号 0746-52-0888
営業時間 09:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 毎週水曜日(水曜日が祝日の場合は翌日)、
年末年始(12月29日から1月3日)
入館料 一般(高校生以上)400円
小・中学生200円

森と水の源流館の情報はこちら

川上村の林業の中心「吉野かわかみ社中」

吉野かわかみ社中は、川上村の林業振興を目的とする組織です。独自に活動をしていた4つの団体と行政(村)が参画、それぞれの強みを活かしながら、持続可能な林業の実践と伝統技術の継承を目的に、地域の森林資源の保全と活用に取り組んでいます。

地元の方々が中心となり、森林管理や木材の生産から加工まで幅広い活動を通じて、森と人との共生を実現しようとしている団体です。吉野かわかみ社中で専務理事 川上村参事を務める 上田 一仁さんに、川上村における林業の歴史、吉野材の特長について伺いました。
 

吉野かわかみ社中 専務理事 川上村参事 上田 一仁さん 吉野かわかみ社中 専務理事 川上村参事 上田 一仁さん

上田さん:『吉野林業全書』という本に、500年ほど前からこの地域で植栽が行われていた記録があります。かつては寺社仏閣、お城の建造のために木材が使われていたようです。ただ、その頃は木を切ることはそれほど頻繁には行われていなかったようで、最盛期、つまり多くの人の手に吉野の木材が使われ始めるのは、18世紀頃です。酒や醤油、味噌などのための必要な樽(樽丸)の用材として使われたことで、需要が拡大しました。この辺りの木材は節が少ないので水漏れがしにくく、真円(まんまるい年輪)であったことから、樽作りに最適だったようです。

明治30〜35年頃の木口車を使った木材運搬の様子 明治30〜35年頃の木口車を使った木材運搬の様子

大正〜昭和初期の「修羅出し(材木を並べ、その上を滑らせて一か所に運ぶ方法)」の様子 大正〜昭和初期の「修羅出し(材木を並べ、その上を滑らせて一か所に運ぶ方法)」の様子

樽丸 (森と水の源流館にて撮影) 樽丸 (森と水の源流館にて撮影)

上田さん:川上村は地形が急峻で農業ができる場所があまりないため、山や自然に対する畏敬の念は持ちつつも、木を育て売ったお金で食料品等を買うことで暮らしてこられました。その中で木材資源を最大限有効活用するためにと技術を極めていった結果、吉野の林業が確立されていったのではないかと思います。吉野川が和歌山に向けて伸びていたことも、林業が栄えた大きな要因です。川で和歌山港まで筏で木を運べたため、大阪に運びやすかったんです。江戸時代から「吉野材」としてブランド化できていたようで、近代では高級住宅の建材として使われるようになります。

明治30〜35年頃の筏流しの様子 明治30〜35年頃の筏流しの様子

大径木伐採の様子 大径木伐採の様子

上田さん 上田さん

上田さん:吉野材の特長は、80〜100年ほどの長い時間をかけて育てた木を使用していることです。「密植」という環境下で育てられるため、年輪の幅が均一で細かいのも特徴の一つですね。さらに、幹が真っ直ぐで太さの差が少なく、強度も兼ね備えています。日本にはあまり資源がないと言われますが、森林は地域の気候風土と年月が育てる生物資源。CO2の固定にも繋がりますし、そうした視点からも木材に注目していただきたいですね。
吉野かわかみ社中では、要望に応じて林業地や製材現場の見学も行っています(団体のみ、有料、要予約)。住宅建築や製品の製造を検討されている方は、ぜひ現地に足を運び、吉野材の魅力を肌で感じてみてはいかがでしょうか。

【吉野かわかみ社中】
住所 奈良県吉野郡川上村大字迫1335-9(林材会館内)

吉野かわかみ社中 公式サイト

自然環境、歴史、文化を守り、川上村の魅力を発信する
「かわかみ源流ツーリズム」

吉野かわかみ社中の近くにある「かわかみ源流ツーリズム」は、村の伝統食である「柿の葉寿司」「でんがら」作りや、「丹生川上神社上社の夜間参拝と境内での星空観察」など、川上村でしか体験できない多数のユニークな体験プログラムを提供している施設です。

ここでは、「川上宣言」の理念を作った中心人物である坂口泰一さんと、同施設でプログラムの企画やSNSなどによる発信を担当している吉野勇也さんに、かわかみ源流ツーリズムが行っている取り組みについて伺いました。

左:坂口泰一さん、右:吉野勇也さん 左:坂口泰一さん、右:吉野勇也さん

坂口さん:川上宣言を具現化していくのが、川上村の村づくりです。村内には大滝ダム、大迫ダムの2つがありますが、かつて極端に村の様子が変わってしまうそれらの事業を受け入れたという経緯があります。下流域の水がめになるということ、そして吉野川・紀の川の源流の村として森と水を守ることで、流域の方や都心の方も「森を一緒に守ろう」と動いてくれると信じています。本来、環境保全と観光は相反するものです。しかし、環境保全のためにはお金が必要ですし、行政だけでなく村民も一緒になって行動しないと実現が難しいと考えました。そこで、資源保全と経済効果、そして住民参加を合わせた水源地の村づくりとして体験プログラムを開催しています。

吉野さん:住民が参加しても、それがボランティアだと続かなくなってしまいます。例えば柿の葉寿司やでんがら作りもそうですが、村の方が普段何気なくしていることの中には、村外の方にとっては価値のあるものがたくさんあるんです。そういったものを掘り起こし、体験プログラムとして企画を行っています。単に「柿の葉に包んで詰めて終わり」ではなく、サバをすく(切る)ところから、酢飯の作り方、最後に箱に詰めるところまでを体験していただくことで、それを家でも再現していただけるんです。それが他の方に伝わっていくことで、文化自体を残していきたいという思いがありますね。

柿の葉寿司作り体験プログラムの様子 柿の葉寿司作り体験プログラムの様子

坂口さん:毎年開催する体験プログラムもありますが、 同じことを繰り返しているわけではなく、レベルアップした内容にするなど、リピーターの方も楽しめるように意識をしています。「どこでやっても同じなもの」ではなく、開催場所を工夫するなど、「『川上村』の『あの人』に教えてもらった」と記憶に残してもらい、村のファンになってもらいたいです。

でんがら作り体験プログラムの様子 でんがら作り体験プログラムの様子

吉野さん:提供している体験プログラムは、どれも少人数制。そのため、それぞれの方がしっかりとコミュニケーションが取れます。「アットホームで良かった」「しっかりと教えてもらえた」といった声もいただきますね。ガイドの村民を好きになっていただき、リピートしていただく方もいらっしゃいます。中には、予約を開始してすぐに申し込みをしてくださる方もいて、とても嬉しいです。

坂口さん:そういう人と人との繋がりが、川上村での観光の決め手になると思うんです。村には有名な観光施設はありませんし、地理的にも決して利便性の良い場所ではないかもしれません。ただ、来てくださった方の多くは、村民のおもてなしの精神や人柄に惹かれているようです。それは、少人数だからできるコミュニケーションがあるからかもしれませんね。

「丹生川上神社上社」夜間正式参拝の様子 「丹生川上神社上社」夜間正式参拝の様子

吉野さん:人同士の関わりは、オンラインの時代でも大切だと考えています。私たちが提供しているのは、川上村に行かないと体感できないこと。もちろん、豊かな自然や美味しいものもたくさんありますが、現地の方と触れ合い、コミュニケーションを取っていただくのが一番の楽しみ方ではないかと思います。

【かわかみ源流ツーリズム】
住所 川上村迫1335番地の3(商工会館1階)
電話番号 0746-52-0333(平日8:30~17:15)

かわかみ源流ツーリズム 公式サイト

館内には体験プログラムのガイド紹介・参加者の感想も展示されています。

川上村の訪問は、深い森と清らかな水が育んだ唯一無二の自然と、そこに暮らす人々の魅力に触れることができる旅です。ぜひ、川上村の歴史を紐解きながら、地元の方々と交流し、心の豊かさを感じながら自然の尊さを改めて感じる体験をしてみてはいかがでしょうか。
【本稿で紹介した構成文化財】 吉野川源流−水源地の森
吉野の天然の森と人工林
丹生川上神社上社
山の神の信仰
吉野の樽丸制作技術
粽とでんがら
柿の葉寿司

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