森に育まれ、森を育んだ人々の暮らしとこころ~美林連なる造林発祥の地“吉野”~STORY #031
ストーリーSTORY
約500年にわたり培われた造林技術により育まれた
重厚な深緑の絨毯の如き日本一の人工の森と、
森に暮らす人々が神仏坐す地として守り続ける
野趣溢れる天然の森が、
訪れる人々を圧倒する景観で迎えてくれる。
ここに暮らす人々が、それらの森を長きに亘って育み、
育まれる中で作り上げた
食や暮らしの文化が今に伝わり、
訪れる者はそれを体感して楽しむことができる。
天然の森から人工の森へ
このような流れの中で、伐採可能な天然林が徐々に減少したため、需要に応えるためには植林の必要に迫られるようになり、天然林が伐採されたあとに、建築材としてより価値の高い杉や桧が植えられるようになった。室町後期、川上村で初めて植林が行われたことが最古の記録であり、現に樹齢約400年の植林の森が川上村下多古(しもたこ)地区にある。
江戸中期になると、江戸などの大都市で灘や伊丹の酒の需要が高まり、その輸送用の樽の材料として吉野地方の木材の需要が増え、海上輸送をはじめとする長期の輸送にも耐えうるよう更に品質を上げるために、植林、育林方法に工夫がなされるようになった。植林は、他の地域では1ha当たり3千本から4千本の植え付けが一般的だが、吉野地域では1ha当たり1万本の苗を植え付ける「密植(みっしょく)」という方法がとられた。その後は、「多間伐(たかんばつ)」という方法がとられ、成長が悪い木を除伐しながら、木の生長に合わせて間伐を何度も繰り返す作業を行う。
そして、一般的には40年から50年とされている最終伐期を、吉野では80年から100年以上に引き延ばす「長伐期(ちょうばつき)」施業という独自の技術を創造した。その結果、木の外回りが真ん丸に近い真円で、まっすぐに育った木々は年輪幅がほぼ一定で密であるために強度が強く、色艶や香りの良い、どの地域の材よりも美しい杉桧の「吉野材」を生み出すこととなった。この優れた林業技術によって、この地域の山々には、等間隔に、且つ真っ直ぐに立ち並ぶ見事な人工の美林が作りあげられることとなった。
森に生きた人々のこころの証
古代から人々は、神仏と仰ぐ森や山、そこから流れ出る水などの依り代として祠を設けて祀った。中には、平安時代以降、皇室や摂関家など貴顕の尊崇を受けることとなった吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)や丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)、金峯山寺などように豪壮な寺社に発展したところもある。
森の資源を活かした生活文化
これらの集落での生活に必要な道具は、自ずと森の木々を利用した物が多い。下市町の三宝(さんぼう)などに代表される曲物(まげもの)が室町中期から作られたほか、江戸中期からは全国に先駆けて、黒滝村などでは樽丸(たるまる)という樽の側板材が盛んに生産され、全国生産量の殆どを明治期に至るまで吉野地方が担っていた。明治初期からは、樽丸生産や製材の過程ででる端材を利用した割箸作りが下市町で考案され、吉野町や下市町などで割箸が盛んに生産されるようになり、これもまた全国生産量の殆どを担っていた。
傾斜地や谷間に暮らすこの地域の人々は、米作に適さない土地柄であるが故に、森の恵みに食材を求め、あるいは環境に合う作物や加工食品をつくり、食生活を充たしてきた。また、保存効果や殺菌効果が高いとされる柿や朴(ほう)の葉などを利用した寿司を作る文化が形成されて、吉野川に沿った地域では柿の葉寿司、黒滝村・天川村・下市町などでは朴の葉寿司が今に伝わっている。下北山村や上北山村などは栃餅に代表される森の恵みに栄養源を求めることもあった。また、吉野地域で生産された葛は、「吉野葛」として料理に利用されるほか、葛湯、葛餅、葛菓子、葛きりなどの材料として全国にその名が知られる。
造林発祥の地“吉野”で車を走らせれば、人工の常緑の森が、重厚で一糸乱れぬ装いで広がるかと思えば、天然の森の色形ともに変化に富む景観が現れる。この地域の二つの壮大な美林連なる景観の中で、人々はその造林技術と育み育まれた森への祈りを今に伝え、訪れる者はその森とともに暮らす生活を実感することができる。
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ピックアップコラムCOLUMN
日本遺産に関するエピソードや
トリビアをお届けします。
あそびにきぃや。奈良しもいち。
こちら奈良県は吉野地方にある
下市町(しもいちちょう)なんですけど、みなさん知ってますか。
奈良県のちょうど真ん中ぐらいにある町でして、
奈良県民でも、どの辺にある町かほぼ知られてないぐらいの町です。
だいたい人に紹介するときは、
「桜で有名な吉野の隣なんですよー」っていいます。
(吉野町におんぶにだっこで紹介しやすい)
で、そんな町でも誇れるもんもありまして、
日本遺産があるんですよ。あの日本遺産です。
森に育まれ、森を育んだ人々の暮らしとこころ~美林連なる造林発祥の地“吉野”~に
わが下市町がどっぷり入らせていただいております。
(これも吉野町におんぶにだっこなのは内緒🤫)
この記事?コラム?を書いているのは
下市町の「みずぐち」という存在なんですけど、
僕が町でなんかしたいなー
なんか活用できるもんないかなーと思ったときに
あった誇れるものが日本遺産でした。
もともと下市の歴史とか文化が好きで、
「いや、下市なんでこれそんな使ってないねん!」て
めちゃめちゃ思いました。誇れる歴史すぎるのに。
※僕がこんな仕事を始めた詳しい経緯は、
下市町公式note(https://shimoichi-town.note.jp)見てください
下市町の自慢みたいなとこでいうと
「日本最古のお寿司屋さん」があって、
創業から800年を超えてます。お寿司発祥の地とも。
もともとは世界遺産にも登録されている
修験道の大峯参りする方々の宿場町として栄えた歴史があって、
みなさんが普段使ってる割箸の発祥の地やったり、
お正月に鏡餅を供える台の三宝の発祥の地やったり、
絵馬発祥の地やったり、商業手形発祥の地でもあるんですよね。
驚くでしょ。しもいち、すごない?
こんな歴史があるから、
日本遺産にも登録してもらってるんですよね。
ぼくは、こんな下市のすごさを
多くの人に知ってほしいのと、そんな想いを
最近は「あそびにきぃや。奈良しもいち」という感じで
どんどんPRしていこうとしてます。
国の事業を活用して、
子どもに日本遺産を体験するワークショップをしたり、
ストーリーを知ってもらう読み物を作ったり、
Instagramで情報発信したりさせてもらってます。
※めちゃおもろい自治体のインスタやで。
@go_shimoichi のフォローたのみます。
さらに、下市に遊びに来た人が
そんな日本遺産を体験できるようなコンテンツを
造成しているので、あそびにきぃや。
家族に自分で割箸とか
作ってプレゼントするとかよくないですか?
カップルとか夫婦で来てもらって、
お互いのこと想いながら、
割箸作って、袋も作ってプレゼントし合うとか。
やってほしいななんて思ってます。
なんでもいいので
下市のことを少しでも知ってもらいたくて。
Instagramもそうなんですよ。
知ってるようで知らない町のことを
ちょっとでも住民さんに知ってほしくて。
で、知ってもらうためにPRTIMESとかに
プレスリリースとからをどーん!としました。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000135386.html
↑こんな感じ。ええ感じすぎる。
え、なにしたって?要するに、
「あそびにきぃや。奈良しもいち」をコンセプトとした
シティプロモーションのために下市町を熱量高く案内する
「もしあれやったら下市案内するで係」を作ったんです。
ちょっと長いな。
「もしあれやったら下市案内するで係」ができたという案内をしたんです。
もっと「あそびにきぃや。奈良しもいち」といいたくて。
もしあれやったら下市案内するで。
あそびにきぃや。奈良しもいち。
待ってるで。