特集SPECIAL CONTENTS
2026.02.10
特集
日本遺産巡り#53◆日本古来のやきものたち。
その価値を守り続ける街を訪ねて。
日本は縄文時代の土器にはじまり、1万年以上のやきもの生産の歴史をもつ国です。数あるやきもの産地の中でも、中世から現在まで生産が続く六つの地域(越前・瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前)は「日本六古窯」と称されています。各地で個性を確立し、時代のニーズに合わせた多種多様なやきものづくりが行われてきたことで、日本人はどの時代や地域においても、やきものに親しみ、活用することができました。
私たちのやきもの文化を築いた六古窯のうち、ここでは常滑・越前の二つの地域を中心にご紹介します。六古窯の成立や各地に与えた影響、それぞれのやきものの特徴を知り、またその発展を支えた街や作り手を訪ねることで、六古窯の「過去」と「未来」に思いを馳せていきます。
私たちのやきもの文化を築いた六古窯のうち、ここでは常滑・越前の二つの地域を中心にご紹介します。六古窯の成立や各地に与えた影響、それぞれのやきものの特徴を知り、またその発展を支えた街や作り手を訪ねることで、六古窯の「過去」と「未来」に思いを馳せていきます。
大物づくり、急須、工業製品・・・多彩な過去から常滑焼を知る。
六古窯の産地の一つ、愛知県知多半島常滑市。この地では、甕や壺などの大型のやきものづくりからはじまり、時代の流れに沿ったさまざまな製品がつくられてきました。「とこなめ陶の森資料館」学芸員の小栗さん、石津さんに、常滑焼の歴史と技術についてお話を伺いました。
“大物づくり”から発展した常滑。
石津さん:常滑では、約900年前の平安時代末期頃からやきものづくりが始まりました。常滑がやきものの一大産地となった理由は大きく3つあります。
石津さん:1つ目は、大物づくりに適した土があったこと。常滑が得意としたのは、壺や甕、鉢などの大型の貯蔵具です。当時の人々は穴を掘って窯をつくり、その中に火を炊いて製品を焼いていました。このような窯は温度が高くなりにくく、大型製品は火が通りにくいため、通常は大物づくりには向きませんが、常滑で採れる土は低温でも焼き締まりやすいという特徴があり、大物づくりに向いていたのです。
2つ目は、窯を築きやすい地形。知多半島はほとんどが丘陵地帯であり、山の斜面を活かして上部に伸びるような形状にトンネルを掘って窯がつくられました。これを「窖(あな)窯」といいます。炎は下から上へと上がっていくので窯全体に熱が行き渡りやすく、山の木をすぐに燃料として使えるので作業効率も良かったのです。
3つ目は、海岸への距離の近さ。割れやすいやきものは、船で運ぶ方が運びやすかったと考えられます。常滑焼が出土した場所を見ると、やはり水運で運びやすい海沿いに消費地が集中し、特に京都や鎌倉、平泉といった時の権力者が集まる地域にはかなりの数のやきものが運び込まれていたことが読み取れます。
小栗さん:後に越前や信楽が常滑の影響を受けて新たなやきもの産地として台頭し、西側に競合が増えると、常滑はライバルの少ない関東方面の大消費地に向けて積極的に輸出を行います。
2つ目は、窯を築きやすい地形。知多半島はほとんどが丘陵地帯であり、山の斜面を活かして上部に伸びるような形状にトンネルを掘って窯がつくられました。これを「窖(あな)窯」といいます。炎は下から上へと上がっていくので窯全体に熱が行き渡りやすく、山の木をすぐに燃料として使えるので作業効率も良かったのです。
3つ目は、海岸への距離の近さ。割れやすいやきものは、船で運ぶ方が運びやすかったと考えられます。常滑焼が出土した場所を見ると、やはり水運で運びやすい海沿いに消費地が集中し、特に京都や鎌倉、平泉といった時の権力者が集まる地域にはかなりの数のやきものが運び込まれていたことが読み取れます。
小栗さん:後に越前や信楽が常滑の影響を受けて新たなやきもの産地として台頭し、西側に競合が増えると、常滑はライバルの少ない関東方面の大消費地に向けて積極的に輸出を行います。
――常滑焼の技術は、どこから伝わってきたのでしょうか。
小栗さん:常滑焼のルーツとなったのは、かつて愛知県に存在し、古墳時代の須恵器づくりからの歴史がある猿投窯と考えられています。ここでは、主に古墳の副葬品や京都の貴族が使う器などがつくられていたのですが、時代の流れとともにやきものに対するニーズが多様化していき、近隣に新たな産地ができます。これが六古窯の常滑と瀬戸であり、それぞれで異なる性質のやきものがつくられました。
瀬戸は山手に位置し、土や燃料は確保しやすい反面、輸送ルートは陸や川となり、大型のやきものは運ぶのが大変です。そこで、中国の施釉陶器の模倣から始まり、比較的小さいサイズかつ、グレードの高いやきものをつくっていました。一方の常滑は、壺や甕といった大物を大量生産し、海運で全国へ運び出す手法を採りました。海からの距離によって戦略に大きな違いがあったわけです。
小栗さん:常滑焼のルーツとなったのは、かつて愛知県に存在し、古墳時代の須恵器づくりからの歴史がある猿投窯と考えられています。ここでは、主に古墳の副葬品や京都の貴族が使う器などがつくられていたのですが、時代の流れとともにやきものに対するニーズが多様化していき、近隣に新たな産地ができます。これが六古窯の常滑と瀬戸であり、それぞれで異なる性質のやきものがつくられました。
瀬戸は山手に位置し、土や燃料は確保しやすい反面、輸送ルートは陸や川となり、大型のやきものは運ぶのが大変です。そこで、中国の施釉陶器の模倣から始まり、比較的小さいサイズかつ、グレードの高いやきものをつくっていました。一方の常滑は、壺や甕といった大物を大量生産し、海運で全国へ運び出す手法を採りました。海からの距離によって戦略に大きな違いがあったわけです。
――常滑焼にはどんな技術が用いられているのですか。
小栗さん:当時の人々にとってやきものは重要なビジネスでしたので、大量生産をめざして窯の中で甕を重ねて焼いていました。常滑焼は表面に釉薬をかけずにつくるので、やきもの同士がくっつきにくく重ね焼きに向いていました。一部のやきものには窯の中の灰がかかって溶け、自然釉と呼ばれる緑色になることがあり、この美しさは特別高く評価されていたんです。
小栗さん:当時の人々にとってやきものは重要なビジネスでしたので、大量生産をめざして窯の中で甕を重ねて焼いていました。常滑焼は表面に釉薬をかけずにつくるので、やきもの同士がくっつきにくく重ね焼きに向いていました。一部のやきものには窯の中の灰がかかって溶け、自然釉と呼ばれる緑色になることがあり、この美しさは特別高く評価されていたんです。
石津さん:常滑焼の大物づくりには「ヨリコづくり」と呼ばれる技術が使われています。大きなやきものづくりではろくろを使うことは難しいため、陶工が自ら作品の周りをぐるぐると回りながら、ひも状の粘土を輪の形に積み上げて形を整えていきます。
こうした技術は次第に他の地域にも伝わっていきます。たとえば越前焼も同様の製法でつくられたものが多く、口縁の形や表面に描かれた模様の有無などに類似した特徴が見られます。
こうした技術は次第に他の地域にも伝わっていきます。たとえば越前焼も同様の製法でつくられたものが多く、口縁の形や表面に描かれた模様の有無などに類似した特徴が見られます。
――当時の人々にとって、甕のデザインにはどのような意味があったのでしょうか。
小栗さん:本来、貯蔵具である甕に特別な装飾は必要ないものですが、館内に展示されている甕をよく見ると、全体の形状や、表面の模様などに少しずつ違いがありますよね。いわゆる当時のオシャレであったり、製造元が技術力の高さを示すためであったりと、さまざまな意図が込められていたと思われます。甕によっていろいろなマークが描かれているので、ぜひよく観察してみてくださいね。
小栗さん:本来、貯蔵具である甕に特別な装飾は必要ないものですが、館内に展示されている甕をよく見ると、全体の形状や、表面の模様などに少しずつ違いがありますよね。いわゆる当時のオシャレであったり、製造元が技術力の高さを示すためであったりと、さまざまな意図が込められていたと思われます。甕によっていろいろなマークが描かれているので、ぜひよく観察してみてくださいね。
――大量生産され、全国に運ばれていった壺や甕は、どんな用途で使われたのですか。
石津さん:水を貯める、お酒をつくるなどの使われ方の他にも、室町時代の終わりには藍染の際に布を染液に浸す藍甕、江戸時代では武士など身分の高い人々のお墓としても用いられました。多彩な用途に使えて便利な壺や甕は、誰もが欲しがる憧れの品だったのだと考えられます。
ここまでの常滑焼の歴史を見ると、ろくろによるやきものづくりがほとんど見られません。
小栗さん:最初期には小型のお皿や鉢などがろくろでつくられていたのですが、常滑は次第に大物づくりに力を入れ始め、小型製品の生産を重視しなくなります。当時の常滑の土は丈夫で割れにくい反面、固く引き延ばしにくく、ろくろでの食器づくりには不向きだったのです。鎌倉時代後期ごろには、ろくろの技術は一度衰退してしまいます。
石津さん:水を貯める、お酒をつくるなどの使われ方の他にも、室町時代の終わりには藍染の際に布を染液に浸す藍甕、江戸時代では武士など身分の高い人々のお墓としても用いられました。多彩な用途に使えて便利な壺や甕は、誰もが欲しがる憧れの品だったのだと考えられます。
ここまでの常滑焼の歴史を見ると、ろくろによるやきものづくりがほとんど見られません。
小栗さん:最初期には小型のお皿や鉢などがろくろでつくられていたのですが、常滑は次第に大物づくりに力を入れ始め、小型製品の生産を重視しなくなります。当時の常滑の土は丈夫で割れにくい反面、固く引き延ばしにくく、ろくろでの食器づくりには不向きだったのです。鎌倉時代後期ごろには、ろくろの技術は一度衰退してしまいます。
茶の湯文化から、近代日本の発展までを支えた常滑焼。
石津さん:次に常滑でろくろ技術が復活するのは江戸時代後期。そのきっかけは、中国から技術が伝わり始まった急須生産でした。常滑焼と聞いて多くの人がイメージする朱色の急須はこの頃からつくられ始めたものです。
小栗さん:室町から江戸にかけては、お茶を嗜むことが高貴な文化として栄えた時代です。良いお茶を飲むためには良い茶道具を使いたいという価値観があり、中国からの舶来品が身分の高い人々の下へ運ばれていきました。赤や白のやきものは当時の最先端であり人気が高く、江戸時代後期になると、その技術やデザインを模倣した急須が京都などで先駆けてつくられていきます。常滑は京都に次いで、急須を作り始めた地域でした。一度は廃れたろくろの技術が復活するのもこの頃です。土についても改良が進み、茶器との相性の良いきめの細かい田の土が用いられるようになります。
石津さん:この頃に常滑に導入された連房式登窯(複数の焼成室を斜面に連ねた窯)も、常滑焼の技術向上を支えました。内部のどの場所に置いても製品を均一に、一度に大量に焼くことができるようになり、甕だけでなく茶器のような小型製品も盛んにつくられるようになります。この登窯を導入したのが、鯉江方救(こいえ ほうきゅう)・方寿(ほうじゅ)父子でした。明治期には方寿が土管の量産化技術を開発するなど、さまざまな功績を残しています。
小栗さん:室町から江戸にかけては、お茶を嗜むことが高貴な文化として栄えた時代です。良いお茶を飲むためには良い茶道具を使いたいという価値観があり、中国からの舶来品が身分の高い人々の下へ運ばれていきました。赤や白のやきものは当時の最先端であり人気が高く、江戸時代後期になると、その技術やデザインを模倣した急須が京都などで先駆けてつくられていきます。常滑は京都に次いで、急須を作り始めた地域でした。一度は廃れたろくろの技術が復活するのもこの頃です。土についても改良が進み、茶器との相性の良いきめの細かい田の土が用いられるようになります。
石津さん:この頃に常滑に導入された連房式登窯(複数の焼成室を斜面に連ねた窯)も、常滑焼の技術向上を支えました。内部のどの場所に置いても製品を均一に、一度に大量に焼くことができるようになり、甕だけでなく茶器のような小型製品も盛んにつくられるようになります。この登窯を導入したのが、鯉江方救(こいえ ほうきゅう)・方寿(ほうじゅ)父子でした。明治期には方寿が土管の量産化技術を開発するなど、さまざまな功績を残しています。
――近代以降、常滑のやきものづくりはどのように変化していくのでしょうか。
石津さん:明治時代になると下水道の整備や近代建築に使われる土管やタイルの需要が高まりました。その時代の流れを捉えた鯉江方寿は、土管の木型をつくり、それを使って大量生産する技術を開発。全国の下水道に常滑焼の土管が用いられるようになります。常滑ではこの需要に対応していくために多くの登り窯が立ち並び、近代日本の発展を支える製品を生み出す一大産地が形成されました。
小栗さん:戦後はトイレや内装タイルなどの衛生陶器のほか、ガーデニング用植木鉢、一般家庭用の急須、あるいは皆さんのよく知る招き猫など、実にさまざまな製品がつくられます。時代は変わっても、常に「人々が求める常滑焼を」という思いを一貫して持ち続けていたのが、この街ならではだと感じます。
石津さん:明治時代になると下水道の整備や近代建築に使われる土管やタイルの需要が高まりました。その時代の流れを捉えた鯉江方寿は、土管の木型をつくり、それを使って大量生産する技術を開発。全国の下水道に常滑焼の土管が用いられるようになります。常滑ではこの需要に対応していくために多くの登り窯が立ち並び、近代日本の発展を支える製品を生み出す一大産地が形成されました。
小栗さん:戦後はトイレや内装タイルなどの衛生陶器のほか、ガーデニング用植木鉢、一般家庭用の急須、あるいは皆さんのよく知る招き猫など、実にさまざまな製品がつくられます。時代は変わっても、常に「人々が求める常滑焼を」という思いを一貫して持ち続けていたのが、この街ならではだと感じます。
常に時代の流れを汲み、世の中の需要に応えて臨機応変に質の高いやきものを生み出しながら発展を続けた常滑。陶工たちのさまざまな創意工夫の足跡を、皆さんもとこなめ陶の森資料館を訪れ、一緒に辿ってみませんか。
【とこなめ陶の森資料館】
【とこなめ陶の森資料館】
| 所在地 | 愛知県常滑市瀬木町4丁目203番地 |
|---|---|
| アクセス | 名鉄「常滑駅」からタクシーで約5分または徒歩約30分、名鉄「常滑駅」から知多半田駅行きバス「INAXライブミュージアム前」下車後徒歩約7分 |
飽くなき技術の追求によって生まれる究極の美とは。
常滑では江戸後期から現在に至るまで、質の高い急須が生産されています。伝統工芸士であり、常滑市指定無形文化財保持者の清水源二(陶号:北條)さんの元を訪れ、その熟練の技術を見学させていただきました。
清水さん:ここは私が作業を行っている工房です。高校の窯業科を卒業してから父の窯を継ぎ、父の残してくれたこの作業場で毎日、自分にとっての究極の急須を追い求めてきました。
――清水さんの考える「良い急須」の条件とはなんですか。
清水さん:まずは、持ちやすい形状であること、注ぎ口の処理がきれいであること、そして、手に取ったときに見た目の印象より少しだけ軽いこと、ではないでしょうか。このバランスは繊細で、とても難しいものです。胴の断面を見てみると、外側の印象に比べて薄い仕上がりになっていることが分かると思います。お湯を入れたときに丁度良い重さに感じられるのがこの薄さなのです。
――清水さんの考える「良い急須」の条件とはなんですか。
清水さん:まずは、持ちやすい形状であること、注ぎ口の処理がきれいであること、そして、手に取ったときに見た目の印象より少しだけ軽いこと、ではないでしょうか。このバランスは繊細で、とても難しいものです。胴の断面を見てみると、外側の印象に比べて薄い仕上がりになっていることが分かると思います。お湯を入れたときに丁度良い重さに感じられるのがこの薄さなのです。
――急須職人として一人前になるまでは、どれくらい時間がかかるものでしょうか。
清水さん:一通りつくれるようになるところまででいえば、一般的に2~3年くらいだと思います。でも、「自分が納得できるものづくり」という点では、私は今でも自分の技術をまだまだだと感じています。速くたくさんつくる技術というのはもちろん大切ですが、私がより追求していきたいのは、他にはない個性や感性なのです。
――職人となってすぐの頃は、お父様の弟子として急須を学ばれたのですか。
清水さん:通常であればそうですよね。でも、うちの窯は違いました。父は私と作業場を別にしていましたし、手取り足取り教えてくれる、というようなことはまったくありませんでした。当時は「冷たい親だなあ」なんて思ったものでしたが、私が自分自身の力で技術を身につけていけるように、あえてそうしてくれていたのだと思います。
――すると、お父様のつくる急須を見て学ぶ、という形になるのでしょうか。
清水さん:そうですね。それに加えて、他の職人の作品をたくさん見ることを大切にしていました。また、一日の作業量が10だとしたら、9は商品をつくるために、残りの1は新しいことに挑戦するために力を使うようにしてきました。急須以外にも何か別の作品をつくってみたり、全国の展覧会に積極的に出品したり、といったようなことですね。展覧会は自分の腕試しになるだけでなく、他の受賞作品からも刺激を受けることが大いにあります。とにかく、常に何かを学び続けること。これが、感性を磨くという作業のひとつなのだと思っています。
――清水さんが高めていきたい感性とは、どのようなものですか。
清水さん:やきものの魅力は、やはり自然の素材を使っていることです。この自然の美をいかにして引き立たせていくか、細部に至るまで追求していきたいというのが、私のこれからの目標です。常滑焼は1000年に近い歴史があり、遠い昔の人の手でつくられたやきものが、この地の地面を掘るとよく見つかります。過去の時代からも学びつつ、昔の人が成し得なかった究極の美を追い求めていきたい。まだまだ、完成にはほど遠いと感じています。
清水さん:一通りつくれるようになるところまででいえば、一般的に2~3年くらいだと思います。でも、「自分が納得できるものづくり」という点では、私は今でも自分の技術をまだまだだと感じています。速くたくさんつくる技術というのはもちろん大切ですが、私がより追求していきたいのは、他にはない個性や感性なのです。
――職人となってすぐの頃は、お父様の弟子として急須を学ばれたのですか。
清水さん:通常であればそうですよね。でも、うちの窯は違いました。父は私と作業場を別にしていましたし、手取り足取り教えてくれる、というようなことはまったくありませんでした。当時は「冷たい親だなあ」なんて思ったものでしたが、私が自分自身の力で技術を身につけていけるように、あえてそうしてくれていたのだと思います。
――すると、お父様のつくる急須を見て学ぶ、という形になるのでしょうか。
清水さん:そうですね。それに加えて、他の職人の作品をたくさん見ることを大切にしていました。また、一日の作業量が10だとしたら、9は商品をつくるために、残りの1は新しいことに挑戦するために力を使うようにしてきました。急須以外にも何か別の作品をつくってみたり、全国の展覧会に積極的に出品したり、といったようなことですね。展覧会は自分の腕試しになるだけでなく、他の受賞作品からも刺激を受けることが大いにあります。とにかく、常に何かを学び続けること。これが、感性を磨くという作業のひとつなのだと思っています。
――清水さんが高めていきたい感性とは、どのようなものですか。
清水さん:やきものの魅力は、やはり自然の素材を使っていることです。この自然の美をいかにして引き立たせていくか、細部に至るまで追求していきたいというのが、私のこれからの目標です。常滑焼は1000年に近い歴史があり、遠い昔の人の手でつくられたやきものが、この地の地面を掘るとよく見つかります。過去の時代からも学びつつ、昔の人が成し得なかった究極の美を追い求めていきたい。まだまだ、完成にはほど遠いと感じています。
伝統工芸士としての高度な技術を持ちながら、ご自身を「まだまだ」と評価する清水さん。過去から、そして他の作家からも貪欲に学び、究極の急須を追求し続ける姿勢が、常滑の豊かなやきもの文化を支え続けています。
【北條陶房】
【北條陶房】
| 所在地 | 愛知県常滑市北条4丁目83 |
|---|---|
| アクセス | 名鉄「常滑駅」から徒歩5分 |
散歩道を歩き、触れる、やきものを愛する人々の想い。
常滑の魅力は、やきものそれ自体はもちろんのこと、やきものづくりを支えた街全体に及びます。
やきものと生きた人々の知恵が詰まった街。
榊原さん:かつて窯業の街として栄えた常滑の集落は、現在は「やきもの散歩道」と名付けられ、当時のやきもの工場や窯、廃材を利用した独特の景観を楽しみながらゆったりと散策できるようになっています。今日はその一部をご紹介します。
榊原さん:散歩道のアイコンとして親しまれているのがここ、土管坂です。常滑では土管や焼酎瓶など数々の製品が民家の壁や垣根、土台として、あるいは小道の石畳として活用されています。これらは皆、工場で必ず出るB級品の製品、すなわち出荷されず廃材となった製品が活用されているんですよ。
街のいたるところに廃材がランダムに配置されており、ユニークな景観が生まれています。
榊原さん:廃材は斜めに埋め込まれていたり、はみだしていたりと、均一ではない箇所も見られますよね。身近にあるものを使おう、という発想からできあがった街並みだからこそ、生真面目すぎず、温かさがある。うまく周囲の自然と調和し、ほっとするような風景がつくられていると感じます。常滑を観光で訪れる方々も、この街のそういった部分にも惹かれているのではないでしょうか。
榊原さん:廃材は斜めに埋め込まれていたり、はみだしていたりと、均一ではない箇所も見られますよね。身近にあるものを使おう、という発想からできあがった街並みだからこそ、生真面目すぎず、温かさがある。うまく周囲の自然と調和し、ほっとするような風景がつくられていると感じます。常滑を観光で訪れる方々も、この街のそういった部分にも惹かれているのではないでしょうか。
榊原さん:常滑焼を語る上で欠かせないのが登窯です。この「陶栄窯」は明治20年に築かれたもので、常滑に現存する唯一の登窯です。約50年前までは実際に常滑の人々に活用されていました。焼成室は全部で8つあり、一番下の焚き口だけでなく、それぞれの部屋の横側からも薪を入れることができ、どの部屋でもムラなく焼けるようになっています。さらに特徴的なのは、両端にいくほど高くなる煙突。これにより、各部屋の温度が均一になるように調整されていました。
街のあちこちに、黒い壁の建物が点在しています。
榊原さん:常滑の街を特徴付けていたかつての土管工場群が現在も残り続けています。海に近い建物なので、潮風から壁を守るために黒い塗料(コールタール)で保護していました。このように、街の街路・窯・建築のすべてに目を凝らすと、やきものに携わる人々の知恵がたくさん詰まっていることに気づくと思います。ぜひ1日かけてじっくりと歩き、常滑の魅力を体感してもらえるとうれしいです。
【土管坂】
榊原さん:常滑の街を特徴付けていたかつての土管工場群が現在も残り続けています。海に近い建物なので、潮風から壁を守るために黒い塗料(コールタール)で保護していました。このように、街の街路・窯・建築のすべてに目を凝らすと、やきものに携わる人々の知恵がたくさん詰まっていることに気づくと思います。ぜひ1日かけてじっくりと歩き、常滑の魅力を体感してもらえるとうれしいです。
【土管坂】
| 所在地 | 愛知県常滑市栄町4-120 |
|---|---|
| アクセス | 名鉄「常滑駅」から徒歩9分 |
【登窯(陶栄窯)】
| 所在地 | 愛知県常滑市栄町6-208 |
|---|---|
| アクセス | 名鉄「常滑駅」から徒歩11分 |
愛着のある常滑の街ににぎわいと安らぎを。
常滑の土管工場跡の一部は、街を活性化させたいと考える人々の手によってリノベーションされ、現在はカフェやレストランなどとして活用されています。そのうちの一軒、「常滑屋」を尋ねてみました。
伊藤さん:常滑屋へようこそ。私の店では、地元・常滑の食材でつくった料理を、色とりどりの常滑焼の器で提供しています。味覚と視覚の両面から、常滑の魅力を味わっていただきたいと思います。
――伊藤さんはなぜこの場所でカフェを始めたのですか。
伊藤さん:今でこそ常滑には多くの観光客が訪れるようになりましたが、かつては飲食店は数えるほどしかなく、外から注目されることはほとんどない地域でした。30年ほど前、この地にもうすぐ空港ができると聞いたとき、このままでは、新しいマンションやホテルばかりが増え、やきものの街の面影は完全に消えてしまうのでは、と不安に思いました。そこで、まずは常滑市民である私たちが、街の魅力をきちんと認識し、発信していくべきだと考えたのです。街の皆で話し合い、何ができるかを考えた結果、生まれたのがこの店です。誰かが街を訪れたときに立ち寄ってもらえる場所、そして、“常滑焼のある街”としての魅力を知ってもらうための場所としてスタートしました。店舗は土管工場だった建物を活用しているので、太い丸太の梁など、個性的なつくりを楽しんでいただけます。
伊藤さん:今でこそ常滑には多くの観光客が訪れるようになりましたが、かつては飲食店は数えるほどしかなく、外から注目されることはほとんどない地域でした。30年ほど前、この地にもうすぐ空港ができると聞いたとき、このままでは、新しいマンションやホテルばかりが増え、やきものの街の面影は完全に消えてしまうのでは、と不安に思いました。そこで、まずは常滑市民である私たちが、街の魅力をきちんと認識し、発信していくべきだと考えたのです。街の皆で話し合い、何ができるかを考えた結果、生まれたのがこの店です。誰かが街を訪れたときに立ち寄ってもらえる場所、そして、“常滑焼のある街”としての魅力を知ってもらうための場所としてスタートしました。店舗は土管工場だった建物を活用しているので、太い丸太の梁など、個性的なつくりを楽しんでいただけます。
――常滑焼で料理を提供する、というアイデアはどのように生まれたのですか。
伊藤さん:私たちの世代は家庭でやきものを使うことが当たり前のことでしたが、今では100円ショップでも手軽に食器が手に入り、若い方々が日常的にきちんとした器に触れる機会は多くないのではと思います。こうした時代において常滑焼の魅力を伝えるには、お客さんに実際に器を見てもらい、使ってもらうことが最も効果的だと思っています。実際に、ここで気に入った器を購入してくださる方もいますし、料理の写真をSNSに上げて器の魅力を広めてくださる方もいます。どんな形でも常滑焼の魅力を知っていただけるのであれば、この店を続けてきた意味を感じられます。
今では、常滑の街には飲食店が立ち並び、料理の器に常滑焼を使うお店も多くあります。街にはつねに人通りがあり、にぎわいを感じられます。
伊藤さん:まずは、食べ物でも、風景でも、この街そのものに魅力を感じて訪れていただくことが大切だと思います。そして、何気なく歩いた街には、実は必ず常滑焼が溶け込んでいることに気づいてほしい。ふとした瞬間に、「この街がすてきなのは、常滑焼があるからなんだ」と思ってもらえるようにしていきたいですね。また、そんなまちづくりに取り組むためには、これからを担う若い職人さんたちの力も欠かせません。まずは私たちがこの街で生き生きと働く背中を見せて、この街に住みたい! 職人として働いてみたい! と思ってもらうこと。そして、街を訪れる人、つくる人が相互に関わり合い、常滑焼の魅力を共有できる場を形成していくことが、これからの私たちの使命だと感じています。
やきものを心から愛する人々が暮らす常滑。皆さんも、この街に住む人々の思いに触れ、やきものの魅力を一緒に語り合ってみませんか。
【常滑屋】
伊藤さん:私たちの世代は家庭でやきものを使うことが当たり前のことでしたが、今では100円ショップでも手軽に食器が手に入り、若い方々が日常的にきちんとした器に触れる機会は多くないのではと思います。こうした時代において常滑焼の魅力を伝えるには、お客さんに実際に器を見てもらい、使ってもらうことが最も効果的だと思っています。実際に、ここで気に入った器を購入してくださる方もいますし、料理の写真をSNSに上げて器の魅力を広めてくださる方もいます。どんな形でも常滑焼の魅力を知っていただけるのであれば、この店を続けてきた意味を感じられます。
今では、常滑の街には飲食店が立ち並び、料理の器に常滑焼を使うお店も多くあります。街にはつねに人通りがあり、にぎわいを感じられます。
伊藤さん:まずは、食べ物でも、風景でも、この街そのものに魅力を感じて訪れていただくことが大切だと思います。そして、何気なく歩いた街には、実は必ず常滑焼が溶け込んでいることに気づいてほしい。ふとした瞬間に、「この街がすてきなのは、常滑焼があるからなんだ」と思ってもらえるようにしていきたいですね。また、そんなまちづくりに取り組むためには、これからを担う若い職人さんたちの力も欠かせません。まずは私たちがこの街で生き生きと働く背中を見せて、この街に住みたい! 職人として働いてみたい! と思ってもらうこと。そして、街を訪れる人、つくる人が相互に関わり合い、常滑焼の魅力を共有できる場を形成していくことが、これからの私たちの使命だと感じています。
やきものを心から愛する人々が暮らす常滑。皆さんも、この街に住む人々の思いに触れ、やきものの魅力を一緒に語り合ってみませんか。
【常滑屋】
| 所在地 | 愛知県常滑市栄町3-111 |
|---|---|
| アクセス | 名鉄「常滑駅」から徒歩10分 |
“産業”としての窯業を支えた街と人々の意志。
やきもの散歩道を楽しんだ後に訪れたのは、「窯のある広場・資料館」(INAXライブミュージアム)。大正時代に建造された土管工場の、倒焔式角窯(とうえんしきかくがま)や煙突が保存されています。
後藤さん:当資料館は、伊奈製陶株式会社の創立者・伊奈長三郎の父である伊奈初之烝が明治35年に、土管製造を始めた創業の地に隣接しています。株式会社INAX(旧:伊奈製陶株式会社、現:株式会社LIXIL)が、すぐ隣の片岡勝製陶所の土管工場を整備し、昭和61年にオープンしました。約22メートルの煙突が特徴的なこの窯では、大正10年から昭和46年まで実際に土管が焼かれていましたが、以降しばらく使われなくなっていたことから、資料館として保存・活用していくことになったのです。
――この資料館はどのような目的で運営されていますか。
後藤さん:江戸時代から土管づくりが行われていた常滑という街の魅力を全国へ発信したい、というのが私たちの思いです。伊奈初之烝は土管づくりの機械化・大量生産化に寄与した人物でしたので、特に「産業」という視点からやきものの魅力を伝える展示を行っています。これまでご覧になられたように、常滑の街は、そのいたるところにやきもの製品の廃材が使われています。これほど大規模にやきものが溶け込んだ街並みは、全国どこを探してもなかなか見つかりません。六古窯のうち、常滑が特に産業としてのやきものづくりに重きを置いたことが、この風景からも感じられますよね。甕や壺から始まり、急須や茶器、土管、タイル、衛生陶器と、それぞれの時代に合わせてつくるものを変え、大量生産を追究したことは、常滑の他の地域にはない特徴であり面白さだと感じます。
常滑の人々は、非常に柔軟な考え方で常滑焼に向き合ってきたのですね。
後藤さん:その柔軟性を示すもうひとつの事実として、常滑以外の地にも土管生産技術を伝えていったことが挙げられます。大正期には、愛知が土管生産の全国シェアの半分を占めていたのが、昭和に入ると低下していきます。常滑の人々は、北海道など他の地域の人々に土管づくりの技術を伝えることで、全国の下水道環境を整えようと試みていたのです。このオープンな姿勢は、甕や壺をつくっていた頃から変わらない常滑の気質であると考えています。実際に、越前などでも常滑焼によく似た技術が用いられ、大物づくりが行われていましたよね。
――この資料館はどのような目的で運営されていますか。
後藤さん:江戸時代から土管づくりが行われていた常滑という街の魅力を全国へ発信したい、というのが私たちの思いです。伊奈初之烝は土管づくりの機械化・大量生産化に寄与した人物でしたので、特に「産業」という視点からやきものの魅力を伝える展示を行っています。これまでご覧になられたように、常滑の街は、そのいたるところにやきもの製品の廃材が使われています。これほど大規模にやきものが溶け込んだ街並みは、全国どこを探してもなかなか見つかりません。六古窯のうち、常滑が特に産業としてのやきものづくりに重きを置いたことが、この風景からも感じられますよね。甕や壺から始まり、急須や茶器、土管、タイル、衛生陶器と、それぞれの時代に合わせてつくるものを変え、大量生産を追究したことは、常滑の他の地域にはない特徴であり面白さだと感じます。
常滑の人々は、非常に柔軟な考え方で常滑焼に向き合ってきたのですね。
後藤さん:その柔軟性を示すもうひとつの事実として、常滑以外の地にも土管生産技術を伝えていったことが挙げられます。大正期には、愛知が土管生産の全国シェアの半分を占めていたのが、昭和に入ると低下していきます。常滑の人々は、北海道など他の地域の人々に土管づくりの技術を伝えることで、全国の下水道環境を整えようと試みていたのです。このオープンな姿勢は、甕や壺をつくっていた頃から変わらない常滑の気質であると考えています。実際に、越前などでも常滑焼によく似た技術が用いられ、大物づくりが行われていましたよね。
後藤さん:伊奈初之烝もまた、土管製造の機械の特許を取りながらも、その技術を常滑の人々に公開し、常滑の土管製造技術を底上げした、オープンなマインドを持った人物でした。常滑を訪れる際には、この地の人々の、やきものを通じた社会貢献への思いについて知っていただくことで、より多くの魅力に触れていただけるかと思います。当館がその一助になればうれしく思います。
後藤さん:かつての工場の2階、窯の上部周辺には、成型した土管を乾燥させるスペースなどがつくられていましたが、現在は2階の床の一部を取り外して窯の全体構造がわかるようにしています。窯の中ではどのような仕組みで土管が焼き上がるのかがわかり、プロジェクションマッピングで体感していただけますよ。また、館内には土管の大量生産に用いられた機械が複数展示されています。ぜひじっくりとご覧になってください。
日本社会の発展のため、常滑の地でよりよいものづくりを追究した伊奈初之烝や長三郎の思いに触れることのできる、窯のある広場・資料館に皆さんも足を運んでみてくださいね。
【窯のある広場・資料館(INAXライブミュージアム)】
【窯のある広場・資料館(INAXライブミュージアム)】
| 所在地 | 愛知県常滑市奥栄町1-130 |
|---|---|
| アクセス | 名鉄「常滑駅」下車、知多バス「INAXライブミュージアム前」すぐ |
常滑の地で900年にわたり紡がれた、複雑で多彩なやきものの歴史。
常滑には、過去から現在にかけて、やきものの産業化から美の追究、まちづくりなど、人々のやきものに対する多様な思いが息づいています。一度では味わい尽くせないほどに魅力溢れるやきものの街を、皆さんも心ゆくまで楽しんでみませんか。
越前焼の可能性を探究し、未来へ託す人々と出会う。
かつて北陸地域最大の窯業地として栄えたのが、六古窯の一つ、福井県越前町です。室町時代には最盛期を迎え、全国にその名を轟かせながらも、明治時代には一時衰退した時期もあるなど、さまざまなドラマのあるやきもの産地です。現在はこの地に「越前陶芸村」が形成されており、訪れた人々に越前焼の魅力を伝えています。
北陸最大の窯業地・越前のやきものの変遷。
森さん:この館では、越前焼研究の第一人者・水野九右衛門氏の、約40年間にわたる研究成果を展示しています。国の有形登録文化財にも登録されている、水野氏が集めた各時代の越前焼や古文書などの資料―「水野九右衛門コレクション」を楽しみながら、越前焼の特徴について知っていただくことができますよ。
――越前焼はいつごろつくられ始めたのですか。
森さん:越前では元々、7世紀前半~10世紀初頭まで須恵器が焼かれており、多くの窯がつくられていました。その後、一度陶器生産が途絶えていたのですが、平安時代末期に常滑から技術が流入し、再びやきもの生産が行われるようになります。これが越前焼のはじまりでした。窯を築くのに適した山々、そしてやきものづくりに向いた良い土に恵まれ、越前焼生産は次第に勢いづいていきます。
――どのようなやきものが多くつくられ、どんな場所で使われていましたか。
森さん:東海地方のひもづくり(越前では「ねじたて技法」と呼ばれる)の技術が使われた大型の甕や壺、すり鉢などがさかんにつくられていました。鎌倉時代にはこの近辺でのみ流通していたものが、室町時代になると大量生産・消費の時代を迎え、生産量が拡大。海がそばにあり、消費地へのアクセスのよい立地を活かし、海運によって北は北海道、南は島根県まで運ばれ、戦国期には北陸最大の窯業地として発展しました。
――時代の流れとともに、越前焼の特徴に変化はありましたか。
森さん:東海地方の技術の影響は時代を追うごとに薄れていき、越前独自の色が出始めます。室町までは釉薬を使わず、自然釉のみで風合いを出す手法が採られていたのですが、江戸時代に入ると、「赤べと」と呼ばれる鉄分の多い土を使った釉薬が表面に塗られるようになりました。これにより、高い温度で焼き締めなくても水が漏れにくいやきものを効率よくつくれるようになりました。その後、他の産地が次々と台頭し、越前焼の生産量が縮小傾向となる中で、全国に出荷する甕や壺から、地元向けの生活用品づくりへとシフトしていくようになります。また、明治以降には、当時流行していた色絵、磁器といったこれまでの越前焼にはないやきものをつくろうと奮闘した人々もいました。
――越前焼はいつごろつくられ始めたのですか。
森さん:越前では元々、7世紀前半~10世紀初頭まで須恵器が焼かれており、多くの窯がつくられていました。その後、一度陶器生産が途絶えていたのですが、平安時代末期に常滑から技術が流入し、再びやきもの生産が行われるようになります。これが越前焼のはじまりでした。窯を築くのに適した山々、そしてやきものづくりに向いた良い土に恵まれ、越前焼生産は次第に勢いづいていきます。
――どのようなやきものが多くつくられ、どんな場所で使われていましたか。
森さん:東海地方のひもづくり(越前では「ねじたて技法」と呼ばれる)の技術が使われた大型の甕や壺、すり鉢などがさかんにつくられていました。鎌倉時代にはこの近辺でのみ流通していたものが、室町時代になると大量生産・消費の時代を迎え、生産量が拡大。海がそばにあり、消費地へのアクセスのよい立地を活かし、海運によって北は北海道、南は島根県まで運ばれ、戦国期には北陸最大の窯業地として発展しました。
――時代の流れとともに、越前焼の特徴に変化はありましたか。
森さん:東海地方の技術の影響は時代を追うごとに薄れていき、越前独自の色が出始めます。室町までは釉薬を使わず、自然釉のみで風合いを出す手法が採られていたのですが、江戸時代に入ると、「赤べと」と呼ばれる鉄分の多い土を使った釉薬が表面に塗られるようになりました。これにより、高い温度で焼き締めなくても水が漏れにくいやきものを効率よくつくれるようになりました。その後、他の産地が次々と台頭し、越前焼の生産量が縮小傾向となる中で、全国に出荷する甕や壺から、地元向けの生活用品づくりへとシフトしていくようになります。また、明治以降には、当時流行していた色絵、磁器といったこれまでの越前焼にはないやきものをつくろうと奮闘した人々もいました。
越前焼研究に奮励した人々――六古窯の誕生。
越前焼を存続させるため、試行錯誤がなされていたのですね。
森さん:しかしこうした努力がありながらも、残念ながら近代化の流れとともに越前焼の需要が落ち込み、衰退してしまった時期がありました。再び越前の地が着目されるようになったのは昭和22年、日本を代表する古陶研究家の小山冨士夫氏が、越前古窯の踏査の結果、「越前は瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前と匹敵する産地である」と発表したこと。ここから、これまでの日本五古窯に代わり、「日本六古窯」の概念が新たに誕生したのです。
「日本六古窯」は、越前焼の研究をきっかけに命名されたのですね。
森さん:さらに、当館が取り上げる水野九右衛門氏もまた、小山氏の指導の下、越前焼の研究を行った人物です。これまでは、越前内の地域ごとに「織田焼」「小曽原焼」など別々のやきものの名称が用いられていましたが、水野氏らはこれらを総称して「越前焼」という名称を定めました。
――水野氏の功績はどのような点にあるといえますか。
森さん:越前焼の歴史を初めて体系的に整理し、その価値を示したところではないでしょうか。これまでも、この地域に古い窯がたくさんあり、多くのやきものが焼かれていたこと自体は知られていましたが、それがいつ頃の年代からなのか、どこにルーツがあり、どんな技術が用いられてきたかなどについては曖昧な部分もありました。これらについて改めてきちんと研究がなされ、解明されたことにより、越前焼の価値が確かなものとなったのです。
ちなみに、本館の隣にある「福井県陶芸館」では、水野氏らが鎌倉時代のあな窯を参考にして築いた「九右衛門窯」の模型が展示されているんですよ。一緒に見に行ってみましょう。
森さん:しかしこうした努力がありながらも、残念ながら近代化の流れとともに越前焼の需要が落ち込み、衰退してしまった時期がありました。再び越前の地が着目されるようになったのは昭和22年、日本を代表する古陶研究家の小山冨士夫氏が、越前古窯の踏査の結果、「越前は瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前と匹敵する産地である」と発表したこと。ここから、これまでの日本五古窯に代わり、「日本六古窯」の概念が新たに誕生したのです。
「日本六古窯」は、越前焼の研究をきっかけに命名されたのですね。
森さん:さらに、当館が取り上げる水野九右衛門氏もまた、小山氏の指導の下、越前焼の研究を行った人物です。これまでは、越前内の地域ごとに「織田焼」「小曽原焼」など別々のやきものの名称が用いられていましたが、水野氏らはこれらを総称して「越前焼」という名称を定めました。
――水野氏の功績はどのような点にあるといえますか。
森さん:越前焼の歴史を初めて体系的に整理し、その価値を示したところではないでしょうか。これまでも、この地域に古い窯がたくさんあり、多くのやきものが焼かれていたこと自体は知られていましたが、それがいつ頃の年代からなのか、どこにルーツがあり、どんな技術が用いられてきたかなどについては曖昧な部分もありました。これらについて改めてきちんと研究がなされ、解明されたことにより、越前焼の価値が確かなものとなったのです。
ちなみに、本館の隣にある「福井県陶芸館」では、水野氏らが鎌倉時代のあな窯を参考にして築いた「九右衛門窯」の模型が展示されているんですよ。一緒に見に行ってみましょう。
森さん:窯の内部にある柱をご覧下さい。これは「分炎柱」と呼ばれるもので、炎が効率よく窯内部に行き渡るように設計されています。東海地方でつくられていたあな窯の構造と似ており、これにより、越前焼の技術のルーツが東海地方にあることがわかります。水野氏は晩年、鎌倉時代のあな窯を復元し、実際に壺や甕を焼くことにより当時の技術を解明したいという思いを抱き、このような窯をつくりました。この実験は4回にわたって行われ、残念ながら3回目の準備中に水野氏は急逝されましたが、その後実験が教え子に引き継がれ、焼成は成功を収めました。
森さん:館内には、鎌倉時代のものから現代に至るまで、さまざまな越前焼の作品が展示されています。自然釉のかかり方や表面に描かれた文様などに越前焼らしい個性が表れていますので、一つひとつをじっくりと観察してみてくださいね。
一人の研究者の目から見た越前焼の魅力が凝縮された「越前古窯博物館」、そして、鎌倉時代のあな窯の復元模型や個性あふれる越前焼の数々を楽しめる「福井県陶芸館」。越前陶芸村を訪れた際には、皆さんもぜひ立ち寄ってみてください。
【越前古窯博物館】
【越前古窯博物館】
| 所在地 | 福井県丹生郡越前町小曽原107-1-169 |
|---|---|
| アクセス | ハピラインふくい「武生駅」から福鉄バス武生越前海岸線八田経由、かれい崎行き「陶芸村口」下車徒歩10分 JR「福井駅」前から福井鉄道福武線たけふ新行き「神明駅」下車、福鉄バス鯖浦線新樫津経由織田行き「陶芸村口」下車徒歩10分 |
【福井県陶芸館】
| 所在地 | 福井県丹生郡越前町小曽原120-61 |
|---|---|
| アクセス | ハピラインふくい「武生駅」から福鉄バス武生越前海岸線八田経由、かれい崎行き「陶芸村口」下車徒歩10分 JR「福井駅」前から福井鉄道福武線たけふ新行き「神明駅」下車、福鉄バス鯖浦線新樫津経由織田行き「陶芸村口」下車徒歩10分 |
越前焼の技術の継承――土づくりから若手育成まで。
次に訪れたのは、越前焼工業協同組合による直売所「越前焼の館」。館内には、熟練の技術を持つ職人から若手作家まで、多種多様な越前焼が展示・販売されています。
越前焼の可能性を引き出す、良質な土。
橋本さん:当組合は、越前の窯元の技術向上や、産地振興をめざし、越前陶芸村の建設に合わせて昭和46年に設立されました。現在はここ、越前陶芸村に店舗を構えているほか、坯土工場を運営しています。
――越前焼に使われる土には、どのような特徴がありますか。
橋本さん:越前では主に花崗岩系の、さまざまな種類の土が採れます。つくりたいものに合わせて種類を変えたりブレンドしたりして使用することで、個性あるやきものが生まれます。大きな特徴としては、鉄分を多く含むためよく焼き締まり、水の貯蔵に適していたこと。そのため古い時代には、東海地方から伝わった技術をもとに壺や甕がさかんにつくられました。また、もうひとつの特徴が、伸びのよさと強度。現在はその特性を活かした「薄づくり」の商品が多数つくられています。これだけ薄くつくっても割れにくく、持ったときの軽さや飲んだときの口当たりの良さが他にはない魅力があると、人気を集めています。
――越前焼に使われる土には、どのような特徴がありますか。
橋本さん:越前では主に花崗岩系の、さまざまな種類の土が採れます。つくりたいものに合わせて種類を変えたりブレンドしたりして使用することで、個性あるやきものが生まれます。大きな特徴としては、鉄分を多く含むためよく焼き締まり、水の貯蔵に適していたこと。そのため古い時代には、東海地方から伝わった技術をもとに壺や甕がさかんにつくられました。また、もうひとつの特徴が、伸びのよさと強度。現在はその特性を活かした「薄づくり」の商品が多数つくられています。これだけ薄くつくっても割れにくく、持ったときの軽さや飲んだときの口当たりの良さが他にはない魅力があると、人気を集めています。
応用が利きやすい優れた素材だからこそ、商品の幅が広がりやすいのですね。
橋本さん:近年は越前漆器・越前箪笥・越前和紙とのコラボ商品など、これまでの伝統を活かしつつ、新たな試みに挑戦しています。
橋本さん:近年は越前漆器・越前箪笥・越前和紙とのコラボ商品など、これまでの伝統を活かしつつ、新たな試みに挑戦しています。
「薄づくり」の越前焼と越前漆器・越前箪笥・越前和紙がコラボした商品
橋本さん:こうした豊かな資源を持つ越前ですが、昭和40年代には瓦が大量につくられるようになり、この地の土はかなり消費されてしまったというのが実情です。現代においては、限りある資源をいかにして大切に使っていくべきか、組合として模索しながら土づくりに取り組んでいます。今日は特別に、組合の坯土工場の内部をお見せします。
橋本さん:いろいろな種類の土をブレンドした後に、ミルにかけて細かく砕きます。水と混ぜ合わせて泥状にし、不純物などを取り除いた後、フィルタープレスをかけて水分を取り除きます。最後に棒状に形を整え、陶土の完成です。この洗練された仕事に携わっているのは、実は、2年間の研修を終えたばかりの若手の土職人なんですよ。当組合では、越前焼に携わる若い技術者の育成を重視しています。
若き職人たちを育成するために。
橋本さん:越前焼は室町後期に最盛期を迎え、多くの窯跡(200基以上)があったとされています。しかしそれ以降、近代化の流れに取り残され、一時、産業が衰退したことは既にお聞きになったかと思います。それを復興させようと昭和46年に建設されたのが、ここ、越前陶芸村です。当初は数軒しかなかった窯元数は、現在は約80軒にまで増えましたが、後継者育成という点ではまだまだ多くの課題があると考えています。
――若い陶芸家の育成のために、どのような取り組みをされているのですか。
橋本さん:越前陶芸村内にある福井県工業技術センター窯業指導所では、「伝統工芸職人塾」を継続的に実施し、国内外から集まる塾生に2年間の長期研修を行っています。また、「技能者養成支援事業」として、越前のねじたて技法などの特別講座を開き、伝統技術の継承に努めています。ここで身につけた技術を、それぞれの出身地へ持ち帰るのも良いですが、願わくは一人でも多くの方がこの地に残って技術を磨き続け、越前焼の職人としての誇りを持って活躍してほしい。当組合は、そんな意欲のある方々をしっかりとサポートしていきたいと考えています。
――若い陶芸家の育成のために、どのような取り組みをされているのですか。
橋本さん:越前陶芸村内にある福井県工業技術センター窯業指導所では、「伝統工芸職人塾」を継続的に実施し、国内外から集まる塾生に2年間の長期研修を行っています。また、「技能者養成支援事業」として、越前のねじたて技法などの特別講座を開き、伝統技術の継承に努めています。ここで身につけた技術を、それぞれの出身地へ持ち帰るのも良いですが、願わくは一人でも多くの方がこの地に残って技術を磨き続け、越前焼の職人としての誇りを持って活躍してほしい。当組合は、そんな意欲のある方々をしっかりとサポートしていきたいと考えています。
橋本さん:若手の育成の重要性は、陶芸村の設立時から重要視されてきたことでした。それを体現するのが「越南窯」です。陶芸村で若い人々が窯を使って研究できるようにと、瀬戸の陶芸家・加藤唐九郎氏の指導の下、瀬戸では長い間秘密にされてきた幻の登窯が、昭和52年、再現されたものです。6つの房で構成され、約1000個の作品を焼くことができました。
橋本さん:この越南窯は、村の発展に大きく寄与してきた貴重な遺産として、使用されなくなった今でも大切に保管されています。現在は越前窯が体験実習の場として活用されています。
――最後に、橋本さんの考える、越前焼の魅力はなんですか。
橋本さん:雪深い越前においては、窯が稼働するのは主に春や秋で、冬は陶工たちにとって充電期間でした。冬が明けてからつくられ始める作品は、雪解けの開放感を感じさせるものが多いように感じます。このダイナミックな美しさは、他の地域にはない越前焼らしい魅力につながっていると感じます。実際に土に触れ、作品づくりを通じて、その魅力をより深く味わっていただけるとうれしいですね。
やきものの材料となる土づくり、そして、技術の継承と後継者育成。越前陶芸村の人々は、越前焼の未来をさまざまな角度から見据え、課題に取り組んでいます。皆さんも、越前焼の館を訪れた際には、やきものをつくる人々に思いを馳せながら、作品を手に取ってみてくださいね。
【越前焼工業協同組合 越前焼の館】
――最後に、橋本さんの考える、越前焼の魅力はなんですか。
橋本さん:雪深い越前においては、窯が稼働するのは主に春や秋で、冬は陶工たちにとって充電期間でした。冬が明けてからつくられ始める作品は、雪解けの開放感を感じさせるものが多いように感じます。このダイナミックな美しさは、他の地域にはない越前焼らしい魅力につながっていると感じます。実際に土に触れ、作品づくりを通じて、その魅力をより深く味わっていただけるとうれしいですね。
やきものの材料となる土づくり、そして、技術の継承と後継者育成。越前陶芸村の人々は、越前焼の未来をさまざまな角度から見据え、課題に取り組んでいます。皆さんも、越前焼の館を訪れた際には、やきものをつくる人々に思いを馳せながら、作品を手に取ってみてくださいね。
【越前焼工業協同組合 越前焼の館】
| 所在地 | 福井県丹生郡越前町小曽原5-33 |
|---|---|
| アクセス | ハピラインふくい「武生駅」から福鉄バス武生越前海岸線八田経由、かれい崎行き「陶芸村口」下車徒歩10分 JR「福井駅」前から福井鉄道福武線たけふ新行き「神明駅」下車、福鉄バス鯖浦線新樫津経由織田行き「陶芸村口」下車徒歩10分 |
伝統と現代が交差し、生まれる、越前焼の新たな形。
越前焼の技術と価値を未来に残す――これは、越前のすべての窯元に共通する願いです。「豊彩窯」代表の吉田豊一さん、息子の雄貴さんに、次世代を見据えた作品づくりについてお話を伺います。
豊一さん:平成8年、この地に自分の窯を立ち上げ、もうすぐ30年を迎えます。私が生まれ育ったのは、越前焼の発祥の地である平等(たいら)地区。幼い頃から、私にとって陶芸はごく身近な存在でした。他の地域の子どもがボール遊びをするように、私は近所の窯元から粘土をもらい、粘土遊びをしていたんです。振り返ると、これが私の原点だったように思います。本格的に陶芸に興味を持ったのは高校時代。私の尊敬する美術の先生に「作陶の道へ進んではどうか」と勧めてもらったことをきっかけに、この分野を学ぶことを決めました。
粘土を使ったものづくりの楽しさが、豊一さんの陶芸家としての出発点だったのですね。
豊一さん:今でもその頃の感覚は変わっておらず、ゼロから形をつくり上げていく喜びこそが私の原動力になっていると感じます。この窯で大切にしているのは、「型にはまらないこと」。食卓に並ぶ日用品の器はもちろん、自分の内面を表現したオブジェクトの制作にも取り組んでいます。一見すると、普通のやきものには見えませんが、これらはすべて、ろくろやひもづくりの技術を応用してつくっているんですよ。
豊一さん:平成8年、この地に自分の窯を立ち上げ、もうすぐ30年を迎えます。私が生まれ育ったのは、越前焼の発祥の地である平等(たいら)地区。幼い頃から、私にとって陶芸はごく身近な存在でした。他の地域の子どもがボール遊びをするように、私は近所の窯元から粘土をもらい、粘土遊びをしていたんです。振り返ると、これが私の原点だったように思います。本格的に陶芸に興味を持ったのは高校時代。私の尊敬する美術の先生に「作陶の道へ進んではどうか」と勧めてもらったことをきっかけに、この分野を学ぶことを決めました。
粘土を使ったものづくりの楽しさが、豊一さんの陶芸家としての出発点だったのですね。
豊一さん:今でもその頃の感覚は変わっておらず、ゼロから形をつくり上げていく喜びこそが私の原動力になっていると感じます。この窯で大切にしているのは、「型にはまらないこと」。食卓に並ぶ日用品の器はもちろん、自分の内面を表現したオブジェクトの制作にも取り組んでいます。一見すると、普通のやきものには見えませんが、これらはすべて、ろくろやひもづくりの技術を応用してつくっているんですよ。
――芸術作品と日用品。両方を究めていくことの良さとはなんですか。
豊一さん:アート面の感性を磨くことで、普段使いの器づくりにおいても色使いや形に個性が出せるようになるのではないかと思います。もちろん、デザインだけでなく機能面もおろそかにはできません。使う人のニーズに応え、どんなものでも何個でも、きちんと質の高い器を作り上げる技術を持っていて初めてプロの職人といえます。そのためには自分でつくった器を実際に使ってみた上で、何度も改良を繰り返していく作業も必要です。お客様にとって使いやすい器とは何か、どんなものをつくれば喜んでいただけるかという視点を常に持って、最良の器づくりをめざしています。
豊一さん:アート面の感性を磨くことで、普段使いの器づくりにおいても色使いや形に個性が出せるようになるのではないかと思います。もちろん、デザインだけでなく機能面もおろそかにはできません。使う人のニーズに応え、どんなものでも何個でも、きちんと質の高い器を作り上げる技術を持っていて初めてプロの職人といえます。そのためには自分でつくった器を実際に使ってみた上で、何度も改良を繰り返していく作業も必要です。お客様にとって使いやすい器とは何か、どんなものをつくれば喜んでいただけるかという視点を常に持って、最良の器づくりをめざしています。
息子の雄貴さんは、芸術系大学で陶芸を学んだ後、豊彩窯のもう一人の職人として活動を開始。現在は親子2代で作品づくりに取り組んでいます。
雄貴さん:父とは異なり、当初ははっきりとした目標があって陶芸を始めたわけではありませんでした。ただ、父の自由な作風に、幼少期から影響を受けていた部分はあったのかもしれません。現在、私がやきものづくりで特に力を入れているのは、釉薬の色の研究です。少しの調合の違いで、自分の求めるニュアンスとかけ離れてしまうこともある。何度も何度も試し焼きを繰り返し、理想の色に近づけていきます。難しいですが、そのぶんとても面白く、やりがいのある作業なんです。
雄貴さん:父とは異なり、当初ははっきりとした目標があって陶芸を始めたわけではありませんでした。ただ、父の自由な作風に、幼少期から影響を受けていた部分はあったのかもしれません。現在、私がやきものづくりで特に力を入れているのは、釉薬の色の研究です。少しの調合の違いで、自分の求めるニュアンスとかけ離れてしまうこともある。何度も何度も試し焼きを繰り返し、理想の色に近づけていきます。難しいですが、そのぶんとても面白く、やりがいのある作業なんです。
――若手の職人として活躍される中で、課題に感じていることはありますか。
雄貴さん:残念ながら、この地域には同世代のやきもの職人がまだまだ少ないというのが現状です。年の近い仲間と切磋琢磨して感性を磨く機会が少ないことは寂しく思いますが、そのぶん、越前和紙や越前漆器といった、他の分野の工芸職人との交流を大切にしています。自分なりの方法で視野を広げていくことで、他にはない個性のある作品づくりができればと考えています。また、一人でも多くの人に越前焼に興味を持ってもらえるよう、SNS等での発信や個展の開催なども力を入れていきたいです。
豊一さん:私もまさに、陶芸を始めた頃は息子と同じ状況で、周囲に同世代がいないところから職人としてスタートしました。やはりそうした状況では、他分野の作家仲間との交流がものづくりの幅を大きく広げてくれるものです。発想を柔軟にし、マイナスをプラスに変える力がこれからの世代には特に大切になってくるのではないかと思います。
親子に共通する「型にはまらない」という考え方が、この窯の独自性につながっているのですね。
雄貴さん:ある意味「この窯らしさ」というものがない。明確な売りがないことが、この窯の売りと言えるかもしれません。とにかく何でもつくってみる窯だからこそ、お客様のどんな希望にも柔軟に対応できます。またそれは、越前焼そのものにも当てはまる傾向だと思います。それぞれの窯で、昔ながらの伝統を踏まえながらも、積極的に新たな形の商品を模索している。私はそこに、この産地ならではの魅力を感じています。
越前で生まれ育ち、越前焼ととことん向き合い続けてきた吉田さん親子。2人は伝統を大切に、けれども時には常識を越えた作品づくりに取り組み、越前焼の新たな可能性を切り拓こうとしています。
【豊彩窯】
雄貴さん:残念ながら、この地域には同世代のやきもの職人がまだまだ少ないというのが現状です。年の近い仲間と切磋琢磨して感性を磨く機会が少ないことは寂しく思いますが、そのぶん、越前和紙や越前漆器といった、他の分野の工芸職人との交流を大切にしています。自分なりの方法で視野を広げていくことで、他にはない個性のある作品づくりができればと考えています。また、一人でも多くの人に越前焼に興味を持ってもらえるよう、SNS等での発信や個展の開催なども力を入れていきたいです。
豊一さん:私もまさに、陶芸を始めた頃は息子と同じ状況で、周囲に同世代がいないところから職人としてスタートしました。やはりそうした状況では、他分野の作家仲間との交流がものづくりの幅を大きく広げてくれるものです。発想を柔軟にし、マイナスをプラスに変える力がこれからの世代には特に大切になってくるのではないかと思います。
親子に共通する「型にはまらない」という考え方が、この窯の独自性につながっているのですね。
雄貴さん:ある意味「この窯らしさ」というものがない。明確な売りがないことが、この窯の売りと言えるかもしれません。とにかく何でもつくってみる窯だからこそ、お客様のどんな希望にも柔軟に対応できます。またそれは、越前焼そのものにも当てはまる傾向だと思います。それぞれの窯で、昔ながらの伝統を踏まえながらも、積極的に新たな形の商品を模索している。私はそこに、この産地ならではの魅力を感じています。
越前で生まれ育ち、越前焼ととことん向き合い続けてきた吉田さん親子。2人は伝統を大切に、けれども時には常識を越えた作品づくりに取り組み、越前焼の新たな可能性を切り拓こうとしています。
【豊彩窯】
| 所在地 | 福井県丹生郡越前町平等44-11 |
|---|---|
| アクセス | ハピラインふくい「武生駅」から福鉄バス武生越前海岸線八田経由、かれい崎行き「下河原口」下車徒歩約15分 JR「福井駅」前から福井鉄道福武線たけふ新行き「神明駅」下車、福鉄バス鯖浦線新樫津経由織田行き「下河原口」下車徒歩約15分 |
越前陶芸村巡り――地域とやきものがつながる場所。
越前焼生産と発信の拠点として、長くこの地で愛される越前陶芸村。
谷口さん:私たちは越前町で生まれ育ち、常にやきものが身近な存在としてありました。土の風合いを活かした、素朴で落ち着きのあるデザインが多く、日用品として使いやすいのが越前焼の魅力だと感じます。
山田さん:越前町の公共建築に越前焼のタイルが使われているなど、町の至るところに越前焼が溶け込んでいます。この越前陶芸村もまた、観光で来られる方はもちろん、町の人々にとっても親しみのある場所なんです。一緒に巡ってみましょう!
山田さん:越前町の公共建築に越前焼のタイルが使われているなど、町の至るところに越前焼が溶け込んでいます。この越前陶芸村もまた、観光で来られる方はもちろん、町の人々にとっても親しみのある場所なんです。一緒に巡ってみましょう!
山田さん:越前陶芸公園は、陶芸村の中心に位置し、地域住民の憩いの場となっているスポットです。岡本太郎の「月の顔」、イサム・ノグチの「レインマウンテン」をはじめ、著名な芸術家による作品が多数設置されていて、アートを間近で体感できます。
谷口さん:この公園では毎年、「越前陶芸村しだれ桜まつり」「越前陶芸まつり」「越前秋季陶芸祭」など多彩なイベントが開催されています。四季折々の自然景観とともに、さまざまな越前焼との出合いを楽しむことができますよ。
谷口さん:この公園では毎年、「越前陶芸村しだれ桜まつり」「越前陶芸まつり」「越前秋季陶芸祭」など多彩なイベントが開催されています。四季折々の自然景観とともに、さまざまな越前焼との出合いを楽しむことができますよ。
山田さん:夏は越前焼でつくられた約3000個の「陶ふうりん」が越前古窯博物館の旧水野家住宅を彩ります。また、冬は約5000個のランプシェード「陶あかり」が福井県陶芸館の庭園を照らします。これらの作品はすべてが一点もの。きれいな景色の中を歩きながら一つひとつを観察し、お気に入りの一点を見つけるのも楽しいですよ。
谷口さん:陶芸村のランドマーク的存在が、ここ「越前陶芸村文化交流会館」です。村を歩き回ってひと休みしたいとき、ぜひここを訪れてみてください。
濵本さん:文化交流会館へようこそ。当館では、四季折々のテーマに沿った多彩な越前焼作品を展示しており、気に入った作品があれば購入することもできます。「こんな越前焼がほしい」というご希望があれば、当館スタッフにお気軽にご相談ください。理想のやきもの探しをお手伝いさせていただきます。当館で人気のカフェコーナー「越前焼で珈琲時間」では、お好きな越前焼カップを選んでコーヒーなどのドリンクをお楽しみいただけます。気に入ったカップはその場でご購入いただくこともできますよ。みなさん陶芸公園の自然を眺めながら、ゆったりとしたひと時を過ごされていかれます。ぜひお気軽にお立ち寄りください。
山田さん:この施設では、越前町の年長園児が卒園前につくった茶碗を展示する「こどもまいちゃわん」のイベントも毎年開催されています。子どもから大人まであらゆる人々に越前焼に親しんでいただけるように、今後も町として、陶芸村の方々とともに工夫を重ねていきたいと思っています。
【越前陶芸村文化交流会館】
【越前陶芸村文化交流会館】
| 所在地 | 福井県丹生郡越前町小曽原7-8 |
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| アクセス | ハピラインふくい「武生駅」から福鉄バス武生越前海岸線八田経由、かれい崎行き「陶芸村口」下車徒歩10分 JR「福井駅」前から福井鉄道福武線たけふ新行き「神明駅」下車、福鉄バス鯖浦線新樫津経由織田行き「陶芸村口」下車徒歩10分 |
平安末期から続くやきもの産地・越前に、今、新たな風が吹く。
越前には、この地ならではのやきものの技術や価値を、さまざまな方法で未来に伝えようと奮闘する人々がいます。皆さんもその情熱を体感し、越前焼の新たな魅力に触れてみませんか。
| 【本稿で紹介した構成文化財】 | 〈常滑市〉 やきもの散歩道の文化的景観 常滑の陶器の生産用具・製品 登窯 窯のある広場・資料館 〈越前町〉 越前焼 越南窯 |
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