きっと恋する六古窯─日本生まれ日本育ちのやきもの産地─STORY #050

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瀬戸市 窯垣の小径 きっと恋する六古窯 きっと恋する六古窯
越前町 陶芸越前大がめ捻じたて成形技法 きっと恋する六古窯 きっと恋する六古窯
甲賀市 信楽たぬき きっと恋する六古窯 きっと恋する六古窯
篠山市 丹波立杭焼(作窯技法) きっと恋する六古窯 きっと恋する六古窯
備前市 焼物の里の文化的景観 きっと恋する六古窯 きっと恋する六古窯
常滑市 やきもの散歩道の文化的景観(土管板) きっと恋する六古窯 きっと恋する六古窯

ストーリーSTORY

瀬戸、越前、常滑、信楽、丹波、備前のやきものは「日本六古窯」と呼ばれ、
縄文から続いた世界に誇る日本古来の技術を継承している、
日本生まれ日本育ちの、生粋のやきもの産地である。
中世から今も連綿とやきものづくりが続くまちは、
丘陵地に残る大小様々の窯跡や工房へ続く細い坂道が
迷路のように入り組んでいる。
恋しい人を探すように
煙突の煙を目印に陶片や窯道具を利用した塀沿いに進めば、
「わび・さび」の世界へと自然と誘い込まれ、
時空を超えてセピア調の日本の原風景に出合うことができる。

六古窯と日本人の心

数百年から千年を超える六古窯。すなわち、施釉陶器の瀬戸と焼締陶器の越前・常滑・信楽・丹波・備前である。

中世は平安時代の公家政権から武家政治へと段階的に移行したことに加え、民衆の力が台頭した時代である。そのため、東は静岡県から南は三重県、北は岐阜県高山市近くまで山茶碗窯ができていく。その一大勢力が常滑焼である。常滑の影響を大きく受けて越前焼は平安時代末期の12世紀後半に、丹波焼は鎌倉時代の13世紀に、信楽焼は鎌倉時代後半に開かれた。一方、備前焼は5世紀から続く邑久の須恵器の系譜を引き、平安時代末期から鎌倉時代初頭に備前市およびその周辺に移動したのである。また、瀬戸焼では猿投窯の伝統を受け継ぎ、10世紀後半には瀬戸市南部において施釉陶器を生産したのである。

茶陶の一大ブランドであり後にやきものの代名詞「せともの」となった瀬戸の窯垣の小径、近代主力生産品の土管や焼酎瓶が再利用された土管坂がある常滑のやきもの散歩道、おどけた表情のたぬきたちが出迎える信楽、日本海側に広く流通し福井城にも供給された日本三大瓦のひとつ越前の赤瓦、堅牢な焼き締めを生かし、未来永劫に教育を続けられるようにと瓦に利用した旧閑谷学校がある備前、現存最古の登窯である「丹波立杭登窯」は地域が一体となり大修復と窯焚きが復活するなど六古窯には窯の火を絶やすことなく続く伝統を、世紀を超えて支え続ける情熱を感じられる。

自然を生かす窯業のふるさと

六古窯の産地は良質の「土」に始まる。山中で採れる陶土や古琵琶湖層・瀬戸陶土層の蛙目粘土、木節粘土、そして田土(ヒヨセ粘土)などで、これらをブレンドして使用している。陶工たちは大地がはぐくんできた「土」を数年かけて子どものように育てるのだ。

立ち並ぶ煉瓦の煙突 立ち並ぶ煉瓦の煙突

往時をしのばせる山々や丘陵の自然な傾斜を利用した数々の窯跡。50mを超える窯跡を有する国指定史跡「備前陶器窯跡」等がまちを取り囲むようにある。今も窯のふもとには工房があり、赤煉瓦や土管を積み上げた煙突が次々と現れる。
それらに続くように住居を兼ねたギャラリーが軒を連ねているが、細く緩やかな坂道を上り下りしながら迷い込むような路地に入ると古い土塀に焼き物の破片や窯道具やごつごつとした古い窯の破片が埋められていたり、窯焚きに使う大量の薪が積み上げられていたりする。薪は轟々と炎となり陶工の顔を火照らすのであろうと思いをはせる。

また、神社の入り口でそぞろ歩く人々を見守っている陶製の狛犬や陶器で装飾された橋など、いかにも窯業のまちならではの風情を醸し出し、ロマンを感じる。六古窯の営みは、やきものの色合いがそのままセピア調の街並みの趣となっている。

やきものに恋してしまうまち

高温で長時間焼き上げる器たちは堅牢で割れにくく、使用される土や製作、焼成技法などさまざまな条件により、作品の質感や色、窯変などは異なり一つとして同じものはできないといわれる。こうした微妙な違いを生み出すやきものではあるが、それを景色として楽しむ大らかさが日本人の文化であろう。景色に溶け込むように並べられたやきものは千差万別。人の心と同じである。豪快で無骨な常滑焼や越前焼、明るく健康的な信楽焼に質朴で釉流れの美しい丹波焼、堅牢で堂々とした備前焼、そして唯一釉が掛けられた優雅さと逞しさを兼ね備える瀬戸焼と、六古窯の名で親しまれたやきものは、最も日本らしいやきものとして多くの人々の心をとりこにしてしまう。

室町時代後期、わび茶の祖とされる村田珠光が、茶人としての心のあり方や美意識を説いた。15世紀前半には唐物茶壺の価値が高まり、その影響をうけて和物茶壺の生産が始まる。この頃から『わび・さび』の理念の基に、茶の湯は作法とともに道具使いなどにおいて大きな変革が行われた。それに伴い茶の湯の道具、茶陶の生産が活発化した。茶の湯により連綿と受け継がれてきた美意識は、日本人の自然なものへの愛着の現れであり、素朴で素材を生かそうとする控えめな風合いの茶器や食器は名将や茶人、食通に愛されてきた。

土と炎によって生み出され、人々の生活をささえ続けた「うつわ」には、それを享受した人々の、豊かで生き生きとした生命力が宿り、躍動感にあふれている。これらの地域では土肌の味わいと流れる施釉・自然釉の美しさをもつ陶器の存在を通して、時代をたくましく生き抜いてきた人々と大地のエネルギーを五感で感じ取ることができる。

左:越前焼/中:瀬戸焼 古瀬戸瓶子/右:丹波立杭焼 左:越前焼/中:瀬戸焼 古瀬戸瓶子/右:丹波立杭焼

伝統が息づくやきもののまちは心の原点 -そうだ陶郷、行こう。-

六古窯の各地域では自然と人間とを大きな視野で捉えている。窯業は地域の伝統産業として精神的支柱となり、各地の陶芸村や陶芸の里、陶芸センターなどでは、独特の景観のなかで技術と伝統の継承が行われている。それぞれの特色を活かして原点回帰するとともに新しい試みを続けている。古陶ブームと共に伝統技術を復興したつくり手たちが活躍するようになる。信楽ではその技術に注目した岡本太郎氏の太陽の塔の裏の顔の制作をはじめとし、各地にも芸術家が頻繁に出入りし、作品制作を行うようになっており現代美術に昇華している。

また、第85回を数えた瀬戸市の「せともの祭」をはじめ、各産地で行われる陶器市は、海外からも多くの人が訪れる有数のイベントとなっている。店頭に並べられた陶器はさながらまちなかのミュージアムとなり、来訪者は焼き物の肌触りを味わい、使い込むほど味が出る六古窯の陶器を求め、旅情を楽しめる。

六古窯は、各々で育まれた伝統や製作技術とともに、さりげなくそしてほのぼのと来訪者を出迎える街並みとやきものが日本人のおもてなしの心を表している。

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