『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」~古代国家を支えた海人の営み~STORY #030

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神楽祭 国生み創生神楽 『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」 『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」
五斗長垣内遺跡 『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」 『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」
上立神岩 『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」 『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」
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淡路人形浄瑠璃 『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」 『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」
鳴門海峡とうずしお 『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」 『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」

ストーリーSTORY

わが国最古の歴史書『古事記』の冒頭を飾る
「国生み神話」。
この壮大な天地創造の神話の中で最初に誕生する“特別な島”が淡路島である。
その背景には、新たな時代の幕開けを告げる
金属器文化をもたらし、
後に塩づくりや巧みな航海術で
畿内の王権や都の暮らしを支えた
" 海人(あ ま)" と呼ばれる
海の民の存在があった。
畿内の前面に浮かぶ瀬戸内最大の島は、
古代国家形成期の中枢を支えた“海人”の歴史を
今に伝える島である。

『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」

現存するわが国最古の歴史書『古事記』に描かれた「神話の世界」。そこには「国生み」「天岩戸」「八俣遠呂智」「大國主命」など、日本人ならだれもが一度は耳にした神話が並ぶ。それは、古代日本人の宇宙観や世界観を背景に、天地が形づくられ国家が誕生する過程を、幾多の神々の姿になぞらえ描いた壮大な天地創造の物語である。その冒頭を飾るのが「国生み神話」。イザナギ・イザナミの二柱の神様が、生まれたばかりの混沌とした大地を天沼矛で塩コオロコオロとかきまわし、矛先から滴り落ちた塩の雫が凝り固まった「おのころ島」で夫婦となって日本列島の島々を生んでいく。その中で、最初に生まれた“特別な島”が淡路島である。

その背景には、大陸や朝鮮半島と畿内を結ぶ大動脈“瀬戸内の海”の東端で、畿内の前面に横たわる瀬戸内“最大の島”として、古代国家形成期に重要な役割を果たした“海の民”の歴史があった。それは、古代国家成立の原点ともいえる紀元前の弥生時代に始まる。

金属器時代の始まり ~先端文化をもたらした“海の民”~

稲作の本格化とともに社会構造の大変革が始まる弥生時代は、金属器時代の幕開けでもある。淡路島では、紀元前に製作された古式の青銅器である21個の銅鐸と14本の銅剣が発見されている。日本最古段階の中川原銅鐸をはじめ、これまでに例の無い7個全てに舌を伴う松帆銅鐸、14本がまとまって出土した古津路銅剣など、その多くが海岸部で発見されている。播磨灘を臨む海岸地帯を神聖な場所として埋納するあり方は、新たな時代の祀りに海の民が携わったことを想像させる。

この島の姿は、紀元前後を境に劇的な変化を迎える。青銅器文化が栄えた平野の集落に取って代わるかのように出現する山間地の集落。そこでは、弥生社会に大きな変革をもたらした鉄器文化が畿内中心部に先駆けて受容されていた。1世紀に鉄器生産を開始した五斗長垣内遺跡では、その後100年以上継続した鍛冶のムラや朝鮮半島からもたらされた鉄斧が、海の民によって伝えられた先端技術の定着を物語る。また、二ツ石戎ノ前遺跡では、鳴門海峡を渡って運ばれた四国徳島産の辰砂を原料とする朱の精製を行った工房も発見されている。これらの最盛期はいずれも邪馬台国の女王「卑弥呼」が登場する直前の時代である。島北部の山間地集落で生産された鉄や朱は、後に大王が求めた重要な物資となるものであり、「倭国大乱」の謎を解く鍵となる可能性を秘めている。

左:7個全てに舌が伴う松帆銅鐸/右:朱を生産した二ツ石戎ノ前遺跡の石杵 左:7個全てに舌が伴う松帆銅鐸/右:朱を生産した二ツ石戎ノ前遺跡の石杵

大王の時代 ~塩と航海術で王権を支えた淡路島の“海人”~

前方後円墳に葬られた大王が出現する時代の淡路島。そこには『日本書紀』に登場する“海人”と呼ばれた海の民の活躍があった。応神天皇の妃を吉備に送る船の漕ぎ手として集められた「御原の海人」や仁徳天皇即位前に朝鮮半島に派遣された「淡路の海人」など、優れた航海術をもって王権を支えた海人の姿が描かれる。また、履中天皇即位前に安曇連浜子に率いられて軍事行動を起こした「野嶋の海人」。彼らの姿には、安曇氏に率いられた水軍としての性格も読み取れる。これらは、『日本書紀』の中に数多く登場し、王権と深い関わりを持つ淡路島の姿や、今も島に残る「御原」や「野島」の地名から、淡路島を拠点とした海人と考えられている。

左:全体を墓域とする沖ノ島古墳群/右:整備された貴船神社遺跡 左:全体を墓域とする沖ノ島古墳群/右:整備された貴船神社遺跡

海人の活動の跡は、島内各地の遺跡にみることができる。紀元前後に出現した山間地集落が急速に姿を消すとともに海岸部で始まる塩づくり。島の土器製塩は3世紀に本格化する。その後、5世紀に熱効率の良い丸底式の製塩土器を生みだした引野遺跡、6世紀には炉底に石を敷き詰めて熱効率の向上を図った石敷炉を導入した貴船神社遺跡など、島内各地の製塩遺跡で作業時間を短縮し、大量生産を目指した塩づくりの進化の跡をみることができる。製塩技術の革新によって大量生産された塩は、島内での消費にとどまらず、畿内の王権にも供給されたと考えられる。

コヤダニ古墳の三角縁神獣鏡 コヤダニ古墳の三角縁神獣鏡

大量の鏡や鉄器を副葬し、巨大な石室を築く古墳が造営された時代。島にも三角縁神獣鏡を受領したコヤダニ古墳が存在する。その中で、鳴門海峡を望む小島全体を墓域として小規模な石室を多数築き、漁具を中心に副葬した沖ノ島古墳群は、激しい潮流の海峡を生業の場とした海人が眠る古墳である。
塩の生産術に長け、巧みな航海術を持った淡路島の海人は、列島を統治する王権にとって必要不可欠な存在となっていた。

都を支えた「御食国」 ~万葉集に詠まれた律令時代の“海人”~

「・・淡路島松帆の浦に朝なぎに玉藻刈りつつ夕なぎに藻塩焼きつつ海をとめ・・」と『万葉集』に詠まれた歌からは、奈良時代に受け継がれた海人の塩づくりを知ることができる。朝廷の儀式である月次祭の神今食の塩が「淡路の塩」と定められていたとする『延喜式』の記録は、淡路の塩が特別に用いられたことを伝える。塩の他にも、淡路島の海人が生産する多くの海の幸が都に運ばれ、天皇の食膳を司る「御食国」として、山部赤人に詠われた島の姿を生みだした。ここにも淡路島の海人と朝廷との関係の深さが窺える。

奈良時代に編纂された『古事記』は、稗田阿礼が暗誦した『帝紀』『旧辞』をもとに、それまでの歴史を振り返り、太安万侶が書き記したものである。古代国家形成期に果たした役割の重要さによって淡路島は、『古事記』の冒頭を飾る「国生み神話」の中で、最初に生まれる“特別な島”として描くことが必要となったのである。

今に息づく「国生みの島」 ~今日にみる“海人”の足跡~

『古事記』編纂に際して評価された海の民の歴史は、その後二千年を超える島の暮らしの中で幾度となく振り返られ、その都度、島人のよりどころとなって新たな文化を創造してきた。海人と呼ばれることとなる海の民の足跡は、貴重な遺跡や多様な文化遺産として良好な姿で今も島に残り、多くの万葉歌人に詠まれた美しい風景は景勝地としての今の島に受け継がれ、「御食国」としての歴史を刻んだ島は今も豊かな食材に恵まれた島でありつづけている。淡路島は、古代国家形成期の中枢を支えた“海人”の歴史を今に伝える島である。
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