江差の五月は江戸にもない─ニシンの繁栄が息づく町─STORY #038
ストーリーSTORY
江差の海岸線に沿った段丘の下側を通っている町並みの表通りに、
切妻屋根の建物が建ち並び、暖簾・看板・壁にはその家ごとの屋号が掲げられている。
緩やかに海側へ下っている地形にあわせて蔵が階段状に連なり、
海と共に生きてきた地域であることがうかがえる。
この町並みは、江戸時代から明治時代にかけてのニシン漁とその加工品の交易によって形成されたもので、
その様は「江差の五月は江戸にもない」と謳われるほどであった。
ニシンによる繁栄は、江戸時代から伝承されている文化とともに、
今でもこの地域に色濃く連綿と息づいている。
切妻屋根の建物が建ち並び、暖簾・看板・壁にはその家ごとの屋号が掲げられている。
緩やかに海側へ下っている地形にあわせて蔵が階段状に連なり、
海と共に生きてきた地域であることがうかがえる。
この町並みは、江戸時代から明治時代にかけてのニシン漁とその加工品の交易によって形成されたもので、
その様は「江差の五月は江戸にもない」と謳われるほどであった。
ニシンによる繁栄は、江戸時代から伝承されている文化とともに、
今でもこの地域に色濃く連綿と息づいている。
江差テイスト
江差町は北海道南西部に位置し、日本海に面しています。
海岸線に沿った段丘の下側には、切妻屋根の建物が建ち並ぶ町並みが伸び、それらの建物の暖簾・看板・壁には、簡単な記号を組み合わせて表現される屋号が掲げられています。その読み方を考えながら散策すると町並み歩きも一層楽しむことができます。
町並みから海側へ降る坂道の小路に入ると、建物が土地の傾斜に沿って階段状に下がって、基礎の石垣も建物ごとに段差が付いていることがわかります。建物は木造のように見えますが実は漆喰壁の土蔵造りで、冬の激しい風雪から漆喰壁を守るために、建物全体を組み合わせた板で覆っています。深い青色をした石組みの基礎も見事です。
段丘に登り振り返ってみれば、赤や黒の瓦屋根の向こうにカモメが羽を広げた形をしているかもめ島を望むことができ、その眺望に感動します。
これらのテイストは、江差の地形とニシンの産業が創り出したもので、江戸を凌ぐともいわれた繁栄を伝えるものなのです。
海岸線に沿った段丘の下側には、切妻屋根の建物が建ち並ぶ町並みが伸び、それらの建物の暖簾・看板・壁には、簡単な記号を組み合わせて表現される屋号が掲げられています。その読み方を考えながら散策すると町並み歩きも一層楽しむことができます。
町並みから海側へ降る坂道の小路に入ると、建物が土地の傾斜に沿って階段状に下がって、基礎の石垣も建物ごとに段差が付いていることがわかります。建物は木造のように見えますが実は漆喰壁の土蔵造りで、冬の激しい風雪から漆喰壁を守るために、建物全体を組み合わせた板で覆っています。深い青色をした石組みの基礎も見事です。
段丘に登り振り返ってみれば、赤や黒の瓦屋根の向こうにカモメが羽を広げた形をしているかもめ島を望むことができ、その眺望に感動します。
これらのテイストは、江差の地形とニシンの産業が創り出したもので、江戸を凌ぐともいわれた繁栄を伝えるものなのです。
江差発展の基、ニシン漁と交易
江戸時代前期の江差は、海岸沿いに小さな村が連なる人口も少ない所でしたが、ニシンがやってきたことによって繁栄していきます。
1670年ごろの様子を記した『津軽一統史』には、ニシン漁場の江差には、道内だけでなく東北地方からも漁民や商人が集まってきている、と記されています。
1670年ごろの様子を記した『津軽一統史』には、ニシン漁場の江差には、道内だけでなく東北地方からも漁民や商人が集まってきている、と記されています。
江戸時代に江差を治めていた松前藩は、豊かなニシン漁場であることや、江差沖に浮かぶかもめ島が天然の防波堤として使えることから、江差をニシン加工品などを扱う藩指定の交易港としました。海岸段丘の下側に這うように伸びている、暮らすには不向きな狭い傾斜地に町並みが作られていったのは、ニシンをメインにして作られたからなのです。
ニシン漁と交易がますます隆盛になっていくと、近江国(滋賀県)や北陸地方から多くの商人が江差に渡ってきました。今でも、町並みに面した商家の店や、その奥に続くニシン蔵を見ることができますが、それらは本州から渡ってきた商人が遺した建物です。
もっとも海側にある蔵は「ハネダシ」と呼ばれ、その外壁にはかもめ島に停泊した交易船からも取引先の商家がわかるように、大きな屋号が掲げられました。この屋号は、商家の暖簾や漁家のニシン漁具など様々な道具にも記されました。
建物の基礎や社寺の参道などには、雨に濡れるとより深い青みを増す、越前国(福井県)で産出された笏谷石が用いられています。このような石材は、近在で代替品をまかなうこともできましたが、経済的に発展していた当時の江差では自前で調達するのではなく、商品として購入するほうが手っ取り早かったのです。
また、建物の屋根には、若狭国(福井県)・能登国(石川県)・石見国(島根県)などで作られた様々な瓦が葺かれていて、段丘の上から見ると赤や黒など様々な色彩の瓦屋根を楽しむことができます。
町並みの所々には、海側へ出るための小路が伸びています。ニシン漁は早春に行われましたが、江差の浜にニシンがやってくると、近隣から漁民がやってきて漁をしますが、その時には町並みに暮らす商家の人たちもこの小路を通って浜へ出て、漁を手伝いました。
発展による文化の展開と伝承
ニシンの漁と交易で繁栄した江差には、ニシン漁が行われるようになった由来を語り継ぐ伝説や、ニシン漁に関係する芸能など、この地で生まれた文化が伝わっています。
また、交易船に乗っていた人達によって伝えられた唄が江差の情景に合わせた歌詞に変わったり、本州の食文化が江差の産物を用いたものに変わったりと、交易や移住者によってもたらされた各地の文化がこの土地の風土に合わせた形で伝承もされています。
また、繁栄によって豪華になっていった祭礼や年中行事なども、江戸時代から現在にまで連綿と伝承されています。
また、交易船に乗っていた人達によって伝えられた唄が江差の情景に合わせた歌詞に変わったり、本州の食文化が江差の産物を用いたものに変わったりと、交易や移住者によってもたらされた各地の文化がこの土地の風土に合わせた形で伝承もされています。
また、繁栄によって豪華になっていった祭礼や年中行事なども、江戸時代から現在にまで連綿と伝承されています。
左:ニシン漁の様子を伝える江差沖揚音頭 /右:繁栄により豪華になっていた祭礼
ニシンの繁栄が色濃く残る町、江差
このように、江差はニシン漁とその交易によって繁栄をしました。
江戸時代後期に江差を訪れた古川古松軒は、江差の町並みは端までも貧家がなく、浜辺にも蔵が建ち並んでいる、江戸を出てから建物・人物・言語など江差ほど良い場所はない、と『東遊雑記』に記しています。
ニシン漁が終わり、ニシン加工品を求めて各地から交易船や人々が江差港にやってくる旧暦5月ごろの賑わいは、後に「江差の五月は江戸にもない」と謳われるほどでした。
江戸時代後期に江差を訪れた古川古松軒は、江差の町並みは端までも貧家がなく、浜辺にも蔵が建ち並んでいる、江戸を出てから建物・人物・言語など江差ほど良い場所はない、と『東遊雑記』に記しています。
ニシン漁が終わり、ニシン加工品を求めて各地から交易船や人々が江差港にやってくる旧暦5月ごろの賑わいは、後に「江差の五月は江戸にもない」と謳われるほどでした。
【江差の五月は江戸にもない 関連情報サイト】 |
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