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STORY #098

もう、すべらせない!!
~龍田古道の心臓部「亀の瀬」を越えてゆけ~

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STORY

「亀の瀬」、それは奈良と大阪の国境に位置し、奈良盆地の水を一手に集める渓谷地帯。ここは、4万年前から地すべりが繰り返されてきた難所でありながら、古代より都の西の玄関口として交通・経済・治水を支えてきた心臓部だ。万葉びとが歌に詠み、文物の往来によって発展を遂げた「龍田古道」は、地すべりの恐怖と隣り合わせにある。古代からこれまで、人々は都度の最新技術を結集させてこの要衝地を守り、龍田の風の神がその歴史と常にともにあった。
龍田の風を肌に感じながら古道を歩いてみよう。土砂に埋もれた鉄道トンネルを覗き、未来の暮らしを支える土木技術に触れ、いざ亀の瀬を越えたとき、自然の驚異と寄り添い暮らす日本人ならではの心のありようが見えてくる。

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構成文化財一覧

ACCESS

亀の瀬(大阪府柏原市)
  • 鉄道
    • JR新大阪駅(京都線)~JR大阪駅(大阪環状線)~JR久宝寺駅(大和路線)~JR河内堅上駅orJR三郷駅 ~亀の瀬(電車行程約1時間、徒歩15~25分)
    • JR新大阪駅(おおさか東線)~JR久宝寺駅(大和路線)~JR河内堅上駅orJR三郷駅~亀の瀬(電車行程約1時間、徒歩15~25分)
    • 大阪方面から 吹田IC(名神高速道路)~松原JCT(西名阪自動車道)~柏原IC~亀の瀬(約50分)
    • 名古屋方面から 名古屋西IC(東名阪自動車道)~亀山IC(名阪国道、西名阪自動車道)~法隆寺IC~亀の瀬(約2時間30分)

CONTACT

  • 日本遺産「龍田古道・亀の瀬」推進協議会(三郷町ものづくり振興課内)
  • TEL:0745-43-7343/FAX:0745-73-6334
  • 公式ウェブサイト www.kamenose.jp

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もう、すべらせない!!

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■奈良と大阪をつなぐ心臓部「亀の瀬」

奈良と大阪を結び、日本の交通網の原形として整備された龍田古道。そこに立ちはだかっていたのが、4万年前より地すべりが繰り返される天然の関所「亀の瀬」だ。ここを押さえずして、奈良の都の発展は望めなかった。

昭和7年の地すべりによる地割れの様子

亀の瀬は、現代でも奈良と大阪の経済や治水を支えている要所、まさに「奈良と大阪を生かす危険で重要な心臓部」である。地すべりによって大和川が堰き止められた場合、奈良盆地は浸水して大きな湖となり、やがてその水は鉄砲水となって大阪平野を水没させる。近代以降でも3回の地すべりが発生しており、この街道の重要地点を守るために60年近くの歳月と850億円以上もの費用を投じ、今なお最新技術を結集させ対策工事が続けられている。

■龍田古道の発展~恐れから望郷へ~

奈良盆地の水を集めた大和川は、生駒山地と金剛山地のあいだの細い渓谷を抜け、大阪へと流れ出す。その大和川に沿った山越えの道が龍田古道である。

奈良盆地を背に、右手に龍田山、左手に大和川が迫る亀の瀬周辺は、極めて狭く視界も悪い。そそり立つ壁のような地形から感じる圧迫感は、都を離れる人々の不安やさびしさを増幅させる。こうして、亀の瀬は都を行き来する人々にとっての心理的な障壁となる天然の関所として恐れられていった。『万葉集』には、国境の峠が「恐(かしこ)の坂」と言われ、旅の安全を願い、この地で神に祈りをささげたとある。

奈良時代の行幸路

聖徳太子が斑鳩に宮を置いた推古天皇の時代から龍田古道の整備が進んだ。平城京に都が置かれた後は、都と大阪、そして大陸とを結ぶ最もアクセスの良いルートで、輿や馬に乗ったまま越えられる唯一の道として、さらには、物流を支える大和川の水運も活用できる高機能なルートとして重宝された。人の往来が活発になれば、そこには最新の文化が集まってくる。平城宮と難波宮を結ぶ大路として皇室の離宮や河内国分寺・国分尼寺が建てられ、沿道は寺町、そして行幸路としての発展を極めた。

数多くの文化人や貴族が龍田古道を通るようになると、この険しい天然の関所は「恐れ」だけでなく「都を離れるノスタルジー」の象徴となっていく。デジタル社会の現代とは異なり、一度都を離れたら次に戻れるのは数年後かもしれない。都に残した恋人や家族を想ってつい振り返った先に見えるもの、つらい長旅の終わりに都に帰ってきたことを実感させるもの。それが、亀の瀬の背後にそびえる龍田山だ。この地を越える万葉びとの多くが龍田山を歌に詠んだ。

人もねの うらぶれ居るに 龍田山 御馬近づかば 忘らしなむか
「万葉集」巻5-877 山上憶良

(文意:人みなが侘しくお慕いしているのに、龍田山に馬が近づいたら、あなたはわれわれをお忘れになってしまいましょうか。)

この歌は、山上憶良が大宰府から大和に帰る大伴旅人に向けて詠んだ惜別の歌である。

■龍田の神に守られて

龍田古道の発展と渡来人の流入によって、亀の瀬を行き交う人々の心の支えだった自然信仰も独自の変容を見せる。二つの山脈の切れ目となるこの地は陰陽道における「龍穴」にあたり、都によい気を運び入れる風の通り道とされた。危険な心臓部を守護し、国家の安寧を祈願するために都の西の玄関口に龍田大社は創建される。その信仰は大陸の陰陽五行思想と融合し、「風の神」という地域独自の信仰を確立していく。日本の土着信仰において「龍」は本来水の神だが、龍田の龍は風を司るという点が極めて珍しい。龍田大社のしめ縄は柱にぐるぐると龍を模した形で巻き付けられている他に類を見ない独特な形状が目を引く。

龍田大社の特徴的なしめ縄

こうして風の神は、都の貴族のみならず、地域に暮らす人やその地を行き交う多くの人々に信仰され、今では、風との関わりが深いパイロットやアスリートまでもが風の神を頼りにやって来る。古代に国家的行事として始まった、旅の安全や国家の繁栄を願う「風鎮大祭」は脈々と現代にも引き継がれ、日本の風信仰の中心として人々の生活に溶け込んでいる。

■亀の瀬を守ってきた歴史が未来に伝えること

近代以降も、龍田古道は奈良と大阪を結ぶ重要な道すじとしての地位を失うことなく、道路や鉄道が敷かれ開発が進められていった。大和川に対して斜めに架けられた鉄道橋からは、地すべりで迂回を強いられた線路の様子が見て取れる。また、地すべりにより埋もれていた鉄道跡「亀の瀬トンネル」は現在一般公開され、当時の建築技術と災害の歴史を今に伝えている。緻密なイギリス積みの煉瓦(れんが)壁、蒸気機関車の黒いすす跡の残る天井、生々しい崩落面など、他所では見ることのできない遺構がタイムカプセルのように往時の姿を示す。

近畿経済の中枢を支える亀の瀬に大規模な地すべりが発生した際の被害額は4.8兆円にのぼると想定されている。災害リスクを身近に抱えながら、日々の暮らしがあたりまえに続くことを祈り、旅の安全を願い、未来の発展を夢見た古代の人々の想いは、いまを生きる我々のそれと少しも変わらない。古代から現代、さらに未来に向かって亀の瀬に災害対策の痕跡が積み重ねられていく。その足跡は、自然の力に対する古代の人々の畏敬の念を現代に引き継ぐとともに、自然の脅威と寄り添い暮らす日本人ならではの心のありようを象徴する景観を形成してきた。

龍田の風に背中を押され、龍田古道を彩る1,400年以上の歴史を辿る旅に出よう。龍田の紅葉を愛で、今を生きるわたしたちの姿が、旅する万葉びとの列のうしろに加わっていく。

亀の瀬トンネルの崩落面

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