石見の火山が伝える悠久の歴史~”縄文の森” ”銀の山”と出逢える旅へ~STORY #101

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火山噴火で埋もれた縄文の森
「三瓶小豆原埋没林」
火山噴火で埋もれた縄文の森<br>「三瓶小豆原埋没林」 火山噴火で埋もれた縄文の森<br>「三瓶小豆原埋没林」
溶岩の峰が連なる山容が美しい
「三瓶山」
溶岩の峰が連なる山容が美しい<br>「三瓶山」 溶岩の峰が連なる山容が美しい<br>「三瓶山」
石見銀山の鉱山町として栄えた
「大森銀山地区」
石見銀山の鉱山町として栄えた<br>「大森銀山地区」 石見銀山の鉱山町として栄えた<br>「大森銀山地区」
踏みしめると音を奏でる鳴り砂の浜
「琴ヶ浜」
踏みしめると音を奏でる鳴り砂の浜<br>「琴ヶ浜」 踏みしめると音を奏でる鳴り砂の浜<br>「琴ヶ浜」
室町時代から採石が続く
「福光石の石切場」
室町時代から採石が続く<br>「福光石の石切場」 室町時代から採石が続く<br>「福光石の石切場」
日本海に面した美しい地層が目を引く
「立神岩」
日本海に面した美しい地層が目を引く<br>「立神岩」 日本海に面した美しい地層が目を引く<br>「立神岩」

ストーリーSTORY

地下へ続く階段を下りていくと、目の前にそびえ立つ幾本もの巨大な木――。三瓶山(さんべさん)の噴火で地中深くに埋まった縄文時代の木々が、悠久の時を超え、当時のままの姿を現しているのです。
 火山大国である日本。
 人々を脅かす噴火ですが、石見(いわみ)の国(くに)おおだには様々な恩恵をもたらしてくれました。かつて世界に「ジパング(日本)」の名をとどろかせた石見(いわみ)銀山(ぎんざん)の鉱床もマグマから生まれたのです。
 そして火山が育んだ豊かな大地は生活を潤してくれました。
 暮らしの根っこに火山の歴史が息づくまち、石見の国おおだ。
 ここには火の国のめぐみと出逢える旅が待っています。

【火山からの贈り物】

島根県唯一の活火山・三瓶山(さんべさん)を有する大田市(おおだし)。4000年ほど前の三瓶山の噴火を最後に静かな状態が続いていますが、かつてこの地では複数の火山が噴火をくり返していました。最も古い火山活動は日本列島が形成された約1500万年前まで遡ります。この時、海底火山の噴火がいくつもの鉱山を生み、この地に鉱工業をもたらしてくれました。その後、約150万年前に起きた大江高山火山(おおえたかやまかざん)の噴火からは16世紀の世界が注目した石見銀山(いわみぎんざん)が生まれました。そして約10万年前から縄文時代にかけて爆発的な噴火をくり返した三瓶山は、豊かな土壌を育むと同時に、原始の森の姿をいまに伝えてくれています。石見(いわみ)の火山は自然の脅威とは異なる顔を見せてくれているのです。

太古から現代へ。悠久の時を経て、火山はたくさんのめぐみを私達にもたらしてくれました。島根県大田市では様々な形でその軌跡(キセキ)をたどることができます。

【現代によみがえる縄文の森】

三瓶山の北のふもと三瓶町多根小豆原(あずきはら)の地中深くから見つかった幾本もの巨大な木。約4000年前の三瓶山の噴火により、土砂や火山灰の中に埋もれた縄文時代の木々が、大地に根を張った当時のままの姿で眠っていたのです。発掘された立木はスギやトチノキなど30本にも及びます。

地下で今も立ち続ける三瓶小豆原埋没林 地下で今も立ち続ける三瓶小豆原埋没林

発掘された状態で保存してある地下展示室へ降りていけば、目前に10m以上の巨大な木が現れます。一番太い木の幹は大人4人が手をつないでやっと囲むことができるほど。その太さからかつては50mほどの高さの木々が立ち並んでいたと推定されます。高層マンションほどの高さの壮大な森林を見上げながら、縄文時代の人々は何を思っていたのでしょうか。

この三瓶小豆原埋没林(さんべあずきはらまいぼつりん)は豊富な地下水により缶詰のような状態で埋もれていたため、いまも生きているかのようです。顔を近づければ木の香りが感じられ、根元には落ち葉や種子、コガネムシの仲間と思われる昆虫まで見つかりました。まるでタイムカプセルのように、縄文時代の森の“一瞬”が閉じ込められていたのです。現代によみがえった原始の森、それは火山がもたらしてくれた大きな奇跡(キセキ)なのです。

【豊かな暮らしを育んだ三瓶火山】

埋没林から地上に戻れば、縄文の森とは対照的に、のどかな里山である三瓶山の光景が広がっています。噴火のあと長い年月が経てば、火山は人々に暮らしやすい環境を与えてくれるという証です。

火山灰が降り積もってできたなだらかな山裾は水はけが良く、牛の飼育に適した広大な牧草地となりました。明治時代には3千頭もの牛が放牧されていたのです。また、この火山性土壌で育てた“三瓶そば”は香りが高く当地の名物となっています。

山腹には豊かに湧き出す三瓶温泉(さんべおんせん)があり、火山活動によりせき止められてできた浮布の池(うきぬののいけ)は万葉歌人の柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が歌を詠んだ地であると言われています。

噴火口をぐるりと取り囲む三瓶山の峰々は火山ならではの変化に富んだ美しい景観であり、人々はその峰を家族になぞらえて男三瓶(おさんべ)、女三瓶(めさんべ)、子三瓶(こさんべ)、孫三瓶(まごさんべ)と呼んできました。「出雲国風土記(いずものくにふどき)」の国引き神話(くにびきしんわ)にも登場する三瓶山は、神宿る地として古くから信仰の対象であり、物部神社(もののべじんじゃ)をはじめとする社寺が山を仰ぎ見るように鎮座しています。

左:そば畑から見える三瓶山/右:石見一宮 物部神社 左:そば畑から見える三瓶山/右:石見一宮 物部神社

【火山が生んだ石見銀山】

16世紀、ヨーロッパの地図に「銀鉱山王国(ぎんこうざんおうこく)」と記された石見銀山。世界の歴史に輝く石(キセキ)は、約150万年前、三瓶山の西にある大江高山火山の噴火から生まれました。地下のマグマから銀を含んだ熱水が湧きだした結果、辺り一帯の岩石が福石(ふくいし)と呼ばれる銀鉱石(ぎんこうせき)へと生まれ変わったのです。石見銀山を有する大森銀山地区(おおもりぎんざんちく)は鉱山町として栄え、江戸時代には幕府の直轄領として代官所も置かれました。最盛期には銀を採掘する坑夫(こうふ)や役人など、2万人近い人々が暮らしていたのです。

石見銀山の中心である仙ノ山(せんのやま)には、いまも銀鉱石を採掘した坑道(間歩(まぶ))が至るところに残っています。なかでも大久保間歩(おおくぼまぶ)は幅15m、高さが20mにも達する巨大な空間をいまに伝えています。銀が含まれている石を四方に掘り進めていったらこれほど大きな坑道になりました。いかに多くの銀鉱石がこの山にあったのかを知ることができます。

石見銀山の西にある琴ヶ浜(ことがはま)は大江高山火山の火口のひとつとされています。琴ヶ浜の名物である鳴り砂の主成分は火山由来の石英砂(せきえいさ)であり、弓型にカーブした独特な地形から遥か昔の噴火口を偲ぶことができます。

左:石見銀山最大級の坑道後 大久保間歩坑内/右:弓なりに白砂が続く琴ヶ浜 左:石見銀山最大級の坑道後 大久保間歩坑内/右:弓なりに白砂が続く琴ヶ浜

【暮らしを支えた火山のめぐみ】

約1500万年前に起きた海底火山の噴火は、この地に広くグリーンタフと呼ばれる緑の岩(凝灰岩(ぎょうかいがん))の地層をもたらしました。この地層は豊かな鉱物資源を含んでおり、鉱工業は100年にわたって大田市の重要な産業のひとつになっています。

またこの地層から切り出された石材は、江戸時代以前から人々の暮らしに活かされてきました。大森銀山地区では石垣や水路などに切り石が使われ、美しい景観を作っています。

なかでも福光石(ふくみついし)の石切り場は室町時代から400年以上続く採石場で、かつて手掘りの作業をしていた時代の膨大なノミ跡が残されています。滑りにくい特性があるため、福光石はいまも階段や浴室の床などに使われています。

海底火山の活動はこの地にいくつもの珍しい風景ももたらしました。火山灰でできた巨大な凝灰岩は鬼村(おにむら)の鬼岩(おにいわ)と呼ばれています。風に侵食されて空いた穴が鬼の指跡のように見えるため、鬼にまつわる伝説が生まれたのです。波根海岸(はねかいがん)の立神岩(たてがみいわ)の岩肌には、火山の噴出物による地層がくっきりと現れており、仁摩海岸(にまかいがん)ではあざやかな緑色をした凝灰岩や、この地層に埋もれて化石となった樹木の珪化木(けいかぼく)を見ることができます。大田市では数多くの火山活動の軌跡(キセキ)が息づいています。

数千年、百万年、そして1千万年以上前。3つの時代の火山の噴火が、大田市に様々な“キセキ”のめぐみをもたらしてくれました。火山と深い関わりを持って暮らしてきた悠久の歴史がここにあります。

左:室町時代から現代まで続く福光石の石切場/右:波根海岸の立神岩 左:室町時代から現代まで続く福光石の石切場/右:波根海岸の立神岩

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