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#019 政宗が育んだ“伊達”な文化
おくのほそ道の風景地(つぼのいしぶみ)
松尾芭蕉は古歌の名所、由緒・来歴の地を訪ねて陸奥(むつ)・北陸路を旅し、紀行文学の傑作である「おくのほそ道」を完成させた。芭蕉とその弟子の曾良(そら)が作品に書きとめた風景は近世・近代を通じて人々の風景観に影響を与え続け、今なお往事の雰囲気と遺風を伝える一体の風致景観である。 芭蕉はこの碑が古代の姿をそのままに現前していることに感動し、涙が落ちるばかりであった。碑は江戸時代の初めに発見され、すぐに「壺碑」と呼ばれるようになった。「壺碑」は平安時代の終わり頃から遠くみちのくにある歌枕として多くの歌に詠まれたもので、この発見は当時の文人や学者に注目され、広く人々に知られるようになった。平成10年には「多賀城碑」として国の重要文化財に指定されている。
「陸奥のおくゆかしくぞおもほゆる壷の碑外の浜風」(西行)に代表されるように、遠くみちのくにある歌枕として、多くの歌に詠まれている。芭蕉の「おくのほそ道」の旅の中で紹介して、さらに広く知られることとなる。
【文責】 宮城県教育庁文化財課
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