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概要
寺伝によると聖徳太子の死後、その追善供養のために推古天皇が僧房10軒を置いたのがはじまり。その後、奈良時代に聖武天皇が東西に広がる大伽藍としたと伝えられる。境内の聖霊殿は太子堂とも呼ばれ豊臣秀頼の再建になる。塔は江戸時代初期に建立された正統派の多宝塔。ともに国指定重要文化財。
ストーリーの位置づけ
聖徳太子は生前に自身の葬地をこの磯長の地と決め、太子の前に没した母と妻を合葬された。太子をはじめ3人を葬った御廟は三骨一廟として阿弥陀三尊になぞらえて厚く信仰され、飛鳥時代に日本に仏教を広めた聖徳太子の御廟は現代に至るまで日本における仏教の聖地として広く崇敬を集めた。叡福寺は長きにわたってその御廟を守護し、聖徳太子信仰の中心寺院として発展した。
【文責】 太子町まちづくり推進部観光産業課