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概要
6月24日、皇宮神宮(内宮)の別宮「伊雑宮」の御料田で行われる御田植祭で、住吉大社、香取神宮の御田植祭と共に、日本三大御田植祭の1つに数えられています。
1871年、御料田が官有となったため、翌年から廃絶のやむなきに至りました。しかしその後も有志の人びとが虫除祈念の名目で私田を借りて御田植を続け、また1891年「御田植旧復義願」を提出するなど、再興を願う人々の努力が実を結び、期日を新暦6月24日と定めて正式に再興されました。
祭りは磯部9郷といわれた地区の人たちが7年に一度の持ち回りで奉仕をします。主な役人は太鼓打ち、簓すり、笛、小鼓、早乙女、謡、杁差、田道人などですが、勤番区の人たちの大半が裏方として参加し祭りを支えています。
起源は、踊込歌の歌詞や1280年の古文書に御料田に関する記述があること、さらに伊雑宮の始まりを記した「倭姫命世記」が著された時期などから、平安時代末期から鎌倉時代初頭にかけて、既に何らかのかたちで行われていたと考えられています。
ストーリーの位置づけ
各地で受け継がれる信仰と多様なまつり。毎年6月24日に、磯部町の9地区が7年ごとの輪番で実施する。漁業者を中心とした裸男が、航海の安全や豊漁を願い大団扇をつけた忌竹(いみだけ)を奪い合う竹取り、田楽にあわせ伝統的な衣装で行う田植え、伊雑宮まで唄をうたい進む踊り込みなどが行われる。
「七本鮫の磯部さん参り」という言い伝えで漁師が誤って7匹のうち1匹の鮫を殺してしまった伝承からこの日は「ゴサイ」と呼ばれ、海女たちのが漁に出るのはタブーとされ、参拝する習慣が残っている。
【文責】 志摩市生涯学習スポーツ課