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#076 中世に出逢えるまち
南北朝時代正平年間の学頭禅恵(がくとうぜんね)の住坊(じゅうぼう)であった。禅恵は南北朝時代の一番困難な時に金剛寺を導いていたが、幕府軍の攻撃や南北両朝の行宮となったことで金剛寺は疲弊する。そして1360年(正平15)の幕府軍の攻撃では他の子院とともに自坊や持仏堂を焼失した。しかし、発掘調査の結果、被災直後から坊舎群は再建されたことがわかっている。
無量寿院は、南北朝時代に学頭をつとめた禅恵を輩出した有力子院であった。現在、門と庫裏がのこる。
【文責】 河内長野市教育委員会 文化財保護課
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