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#076 中世に出逢えるまち
長野神社本殿
江戸時代の1711年から1716年(正徳年間)までは木屋堂の宮、あるいは牛頭天王宮(ごずてんのうぐう)ともいわれていた。檜皮葺の一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で正面千鳥破風(ちどりはふ)及び軒唐破風(のきからはふ)がついており、様式的には1549年(天文18)に建てられた観心寺訶梨帝母天堂や1543年(天文12)に建てられた多治速比売神社(たじはやひめじんじゃ)本殿(堺市)と同じでこの頃に建てられたと思われる。1941年(昭和16)に旧国宝に指定され、現在は重要文化財である。
東、中、西高野街道が合流し、木屋堂の宮とも言われて、栄えていた地に在る神社。上皇の旅日記にも見える。
【文責】 河内長野市教育委員会 文化財保護課
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