お知らせnews
韓国で復元された朝鮮通信使船が、日韓国交正常化60周年を記念し大阪・関西万博2025の開催にあわせ、韓国釜山から大阪までのかつての航路を再現して運航されました。これに合わせて鞆の浦にも寄港した際のレポートです。
朝鮮通信使は、江戸時代に朝鮮国が日本に派遣した外交使節団で、潮待ちの港である鞆には、毎回通信使が宿泊し、藩をあげて盛大なもてなしが行われました。
特に迎賓館であった福禅寺対潮楼では朝鮮通信使と様々な文化交流が行われました。福禅寺には現在も「日東第一形勝」や「対潮楼」の墨書など数多くの資料が残されており、これらはユネスコ「世界の記憶」に選定されています。鞆に寄港したのは1764年(宝暦14年)以来、261年ぶりのことです。
この度の寄港にあわせ、5月8日に開催された歓迎セレモニーでは、鞆こども園の太鼓演奏や華麗な伝統衣装を身にまといチャンゴ(長鼓)のリズムに合わせて伝統舞踊などが披露されました。
また、復元船の見学会が開催され、参加された方々は乗船員による船の解説や演奏や舞踊を楽しみました。
船員の中には、1748年(延享5年)の正使で福禅寺の客殿を「対潮楼」と命名した共啓禧(ホンゲヒ)の子孫であるホンスンジェ学芸研究士もおられ、先祖とゆかりのある場所に立てたことに深く感銘を受けておられました。
また、日韓国交正常化60周年を記念して、駐広島大韓民国総領事館主催の映画上映も行われ、映画の出演者や監督のトークショーも開かれました。
夜には停泊している朝鮮通信使船がライトアップされて、鞆の夜海に幻想的な雰囲気を醸し出していました。
朝鮮通信使は、江戸時代に朝鮮国が日本に派遣した外交使節団で、潮待ちの港である鞆には、毎回通信使が宿泊し、藩をあげて盛大なもてなしが行われました。
特に迎賓館であった福禅寺対潮楼では朝鮮通信使と様々な文化交流が行われました。福禅寺には現在も「日東第一形勝」や「対潮楼」の墨書など数多くの資料が残されており、これらはユネスコ「世界の記憶」に選定されています。鞆に寄港したのは1764年(宝暦14年)以来、261年ぶりのことです。
この度の寄港にあわせ、5月8日に開催された歓迎セレモニーでは、鞆こども園の太鼓演奏や華麗な伝統衣装を身にまといチャンゴ(長鼓)のリズムに合わせて伝統舞踊などが披露されました。
また、復元船の見学会が開催され、参加された方々は乗船員による船の解説や演奏や舞踊を楽しみました。
船員の中には、1748年(延享5年)の正使で福禅寺の客殿を「対潮楼」と命名した共啓禧(ホンゲヒ)の子孫であるホンスンジェ学芸研究士もおられ、先祖とゆかりのある場所に立てたことに深く感銘を受けておられました。
また、日韓国交正常化60周年を記念して、駐広島大韓民国総領事館主催の映画上映も行われ、映画の出演者や監督のトークショーも開かれました。
夜には停泊している朝鮮通信使船がライトアップされて、鞆の夜海に幻想的な雰囲気を醸し出していました。
カテゴリCATEGORY
過去の記事ARCHIVE
-
2025年(292)
-
2024年(428)
-
2023年(337)
-
2022年(294)
-
2021年(362)
-
2020年(231)
-
2019年(333)
-
2018年(300)
-
2017年(104)
-
2016年(6)
-
2015年(2)