森林鉄道から日本一のゆずロードへ─ゆずが香り彩る南国土佐・中芸地域の景観と食文化─STORY #051
ストーリーSTORY
南国土佐の東に位置する中芸地域。
かつて西日本最大の森林鉄道が駆け巡った中芸は、
林業に代わる産業としてゆず栽培に力を注ぎ、
今や日本一の生産量を誇っている。
木材を運んだ森林鉄道の軌道は、
ゆず畑の風景広がる「ゆずロード」に生まれ変わったのである。
川沿いや山間に広がるゆず畑を、
小さくかわいい白い花、深く鮮やかな緑の葉、
熟すとともに濃くなる黄色の果実が季節ごとに彩る景観。
ゆず寿司などの風味豊かな郷土料理。
中芸のゆずロ ードをめぐれば、ゆずの彩りに満ちた景観と、
ゆずの香り豊かな食文化を堪能することができる。
かつて西日本最大の森林鉄道が駆け巡った中芸は、
林業に代わる産業としてゆず栽培に力を注ぎ、
今や日本一の生産量を誇っている。
木材を運んだ森林鉄道の軌道は、
ゆず畑の風景広がる「ゆずロード」に生まれ変わったのである。
川沿いや山間に広がるゆず畑を、
小さくかわいい白い花、深く鮮やかな緑の葉、
熟すとともに濃くなる黄色の果実が季節ごとに彩る景観。
ゆず寿司などの風味豊かな郷土料理。
中芸のゆずロ ードをめぐれば、ゆずの彩りに満ちた景観と、
ゆずの香り豊かな食文化を堪能することができる。
高知市内から東に約50キロに位置する中芸地域。日本三大杉美林の一つに数えられる杉林が広がる急峻な四国山脈の山並み。そこから流れる安田川と奈半利川の二本の清流には、日本一の天然鮎が泳ぐ。河口には、雄大な土佐湾を背景に、土佐漆喰や水切瓦、いしぐろ(石塀)が用いられた屋敷や酒蔵が建ちならぶ町並みが広がる。この中芸の地を、爽やかな香りで包み、目に鮮やかに彩るのが「ゆず」である。
日本三大杉美林と魚梁瀬森林鉄道
中芸は、かつては林業で栄え、大木を伐る掛声が響く地であった。古くは弘法大師の時代から伐り出され、豊臣秀吉が洛陽東山佛光寺の大仏殿の建材に用いた銘木・魚梁瀬杉をはじめ、多くの木材を産出し、安田川・奈半利川に流して河口へ、そして海から日本全国へと送り出してきた。
明治末から敷設がはじまり、隧道や橋梁により中芸一帯を環状に繋いだ魚梁瀬森林鉄道、通称「りんてつ」は、木材の搬出だけでなく、トロッコで学校に通い、トロッコでお嫁入りなど人の暮らしを繋ぎ交流を生んだ。原生的杉林景観の残る千本山、材木業や回船業で名を馳せた豪商の屋敷が軒を連ねる町並みとともに中芸にちりばめられた18ヶ所におよぶ「りんてつ」の遺構群は、林業の隆盛とこの地の繁栄を象徴している。
明治末から敷設がはじまり、隧道や橋梁により中芸一帯を環状に繋いだ魚梁瀬森林鉄道、通称「りんてつ」は、木材の搬出だけでなく、トロッコで学校に通い、トロッコでお嫁入りなど人の暮らしを繋ぎ交流を生んだ。原生的杉林景観の残る千本山、材木業や回船業で名を馳せた豪商の屋敷が軒を連ねる町並みとともに中芸にちりばめられた18ヶ所におよぶ「りんてつ」の遺構群は、林業の隆盛とこの地の繁栄を象徴している。
林業からゆずへゆずが季節ごとに彩る 中芸の風景
中芸のゆず栽培のはじまりは、江戸時代に遡る。当時、北川村で庄屋見習いをしていた中岡慎太郎が、自生するゆずに注目し、防腐や調味のために使えるようにと栽培を農民に奨励したとされ、現在もゆずの古木が山裾に残る。この地の暮らしに根づいてきたゆず栽培だが、それが産業として花開くのは1960年代以降のことである。
1960年代、天然林が枯渇する中で、中芸の人びとは、林業に代わる新たな産業を探さなければならなかった。そこで力を注いだのが、ゆず栽培である。身近にあったゆずの魅力と価値に改めて注目し、それを産業化すべく、りんてつの軌道が敷かれた川沿いにある田畑をゆず畑に変え、木材を運び出していた山間では、山面の限られた土地に石垣を築き段々畑を開いた。昔ながらの有機栽培にこだわりながらも、日本初となる機械式柚子搾汁機の開発やゆず加工商品の開発にも積極的に挑戦していった。
1960年代、天然林が枯渇する中で、中芸の人びとは、林業に代わる新たな産業を探さなければならなかった。そこで力を注いだのが、ゆず栽培である。身近にあったゆずの魅力と価値に改めて注目し、それを産業化すべく、りんてつの軌道が敷かれた川沿いにある田畑をゆず畑に変え、木材を運び出していた山間では、山面の限られた土地に石垣を築き段々畑を開いた。昔ながらの有機栽培にこだわりながらも、日本初となる機械式柚子搾汁機の開発やゆず加工商品の開発にも積極的に挑戦していった。
左:りんてつ軸道跡に残る明神口橋/右:森林鉄道の当時の様子がわかる古い写真
こうして産業化が進められた中芸のゆずは、今では作付面積200ヘクタルを越え、日本一の生産量を誇る。近年では、ヨーロッパに輸出されるまでになり、ゆずの風味を世界に届けている。
ゆず畑では、初夏に小さくかわいらしい白い花を咲かせ、夏には深く鮮やかな緑の葉っぱと果実を輝かせる。秋を迎え、ゆずの果実が熟すとともに濃い黄色に色づくと、あたり一帯に爽やかな香りが立ち込める。そうして収穫の時期を迎えると、ゆず収穫の安全祈願と初絞りを楽しむゆず祭りを皮切りに、ゆず満載の軽トラックや収穫の喜びにあふれる人びとで、中芸全体が活気づく。季節ごとに彩りを変える日本一のゆず畑が広がる景観を、目と鼻の両方で楽しむことができる。
ゆず畑では、初夏に小さくかわいらしい白い花を咲かせ、夏には深く鮮やかな緑の葉っぱと果実を輝かせる。秋を迎え、ゆずの果実が熟すとともに濃い黄色に色づくと、あたり一帯に爽やかな香りが立ち込める。そうして収穫の時期を迎えると、ゆず収穫の安全祈願と初絞りを楽しむゆず祭りを皮切りに、ゆず満載の軽トラックや収穫の喜びにあふれる人びとで、中芸全体が活気づく。季節ごとに彩りを変える日本一のゆず畑が広がる景観を、目と鼻の両方で楽しむことができる。
左上:初夏、小さく愛らしいゆずの花が咲く/右上:収穫前のゆず畑鮮やかな葉に果実を輝かせる/左下:収穫の秋 あたり一面に爽やかな香りが立ち込める/右下:ゆず祭りを皮切りに中芸は収穫でもっとも活気づく
ゆず香る中芸の食文化
古の時代から日本人が親しんできた風味であり、すまし汁の吸口に使われるなど「和食」に不可欠なゆずは、中芸の食文化にも欠かせない。
酸味が強く香り高いと評価される当地のゆずを皮ごと絞り、その持ち味を凝縮した「柚酢」は、酢の物に使ったり、刺身にかけて食べたりと普段の食事にはもちろん、ハレの料理にも欠かせない。ハレの日を祝い客人をもてなす宴席「おきゃく」では、この地を流れる清流を用いて醸された土佐酒やゆず酒とともに、地元の新鮮で多彩な山海の幸を大皿に盛った皿鉢料理が豪快に振る舞われる。
酸味が強く香り高いと評価される当地のゆずを皮ごと絞り、その持ち味を凝縮した「柚酢」は、酢の物に使ったり、刺身にかけて食べたりと普段の食事にはもちろん、ハレの料理にも欠かせない。ハレの日を祝い客人をもてなす宴席「おきゃく」では、この地を流れる清流を用いて醸された土佐酒やゆず酒とともに、地元の新鮮で多彩な山海の幸を大皿に盛った皿鉢料理が豪快に振る舞われる。
皿鉢料理には、土佐湾沖で捕れたカツオなどの刺身、川で獲れるツガニの煮付けといった組物、そしてたっぷりの柚酢で仕立てる「ゆず寿司」が盛られる。リュウキュウ(ハスイモの茎)やタケノコなどの山菜を用いたゆず寿司、天然鮎や鯖などを一匹まるごと使ったゆず寿司を頬張れば、口いっぱいにゆずの爽やかな風味が広がる。
ゆずをふんだんに使って地元の幸を風味豊かに仕上げる郷土料理は、中芸の食文化として、今も人びとの暮らしのなかで受け継がれている。
ゆずをふんだんに使って地元の幸を風味豊かに仕上げる郷土料理は、中芸の食文化として、今も人びとの暮らしのなかで受け継がれている。
「りんてつ」から日本一の「ゆずロード」へ
時代の変化をたくましく生きる人びとの手によって、中芸の風景は「林業」から「ゆず」へと変わり、木材を運んだ「りんてつ」の軌道は、ゆずを運ぶ「ゆずロード」に生まれ変わったのである。
中芸一帯を走るゆずロードをぐるりとめぐれば、ゆずの香りと彩りに満ちた景観と、ゆずの風味豊かな食文化を満喫することができる。
中芸一帯を走るゆずロードをぐるりとめぐれば、ゆずの香りと彩りに満ちた景観と、ゆずの風味豊かな食文化を満喫することができる。
【森林鉄道から日本一のゆずロードへ 関連情報サイト】 |
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