古代人のモニュメント—台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観−STORY #067

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古墳に注ぐ日差し(西都原古墳群) 古代人のモニュメント —台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観− 古代人のモニュメント —台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観−
古墳の周りに建築物がない景観(西都原古墳群) 古代人のモニュメント —台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観− 古代人のモニュメント —台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観−
悠久の時の中で杜と化した古墳(生目古墳) 古代人のモニュメント —台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観− 古代人のモニュメント —台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観−
田園風景に浮かぶ古墳(新田原古墳群) 古代人のモニュメント —台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観− 古代人のモニュメント —台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観−
土星のような古墳(鬼ノ窟古墳) 古代人のモニュメント —台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観− 古代人のモニュメント —台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観−
台地に点在する古墳群(持田古墳群) 古代人のモニュメント —台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観− 古代人のモニュメント —台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観−

ストーリーSTORY

日本独自の形である前方後円墳という古墳が造られた時代。
宮崎平野でも西都原古墳群を始め多くの古墳が造られました。
列島各地であまた造られた古墳のある景観(風景)は、
時の移ろいの中で様変わりしますが、
宮崎平野には繁栄した当時に近い景観が今も保たれています。
台地に広がる古墳の姿形が損なわれることなく、
古墳の周りには建築物がほとんどない景観は全国で唯一です。
古墳を横から、上から斜めから、
いろんな形と古墳のある景観を楽しんでみませんか?

「古墳」の世紀

「古墳」の世紀 「古墳」の世紀

紀元3世紀から7世紀にかけての日本列島では、土を盛り上げたお墓“古墳”を造る文化が各地で栄えました。上から見た形が鍵穴のような「前方後円墳」、丸い「円墳」、四角の「方墳」など、その数なんと約16万基以上。当時の人々にとっての古墳とは、人物の地位や実力を大きさや形で表現した、いわば記念碑(モニュメント)でもありました。
そうした古墳を全て人力で築き上げた古墳時代とは、日本の歴史上初めての「土木工事ラッシュ」の世紀だったのです。

列島各地の古墳は、長い時の経過とともに、その多くは損なわれました。しかし、唯一、南国の宮崎平野の台地には、古墳の姿形が損なわれることなく、古墳の周りに建築物のほとんどない広大な景観が広がっています。そうした古墳景観の世界をたどってみましょう。

造られた当時に近い古墳景観 ― 西都原古墳群 ―

西都原古墳群は宮崎平野を流れる一ツ瀬川西岸の台地上にあり、東西2.6㎞・南北4.2㎞の範囲に300基以上が分布する全国屈指の大古墳群です。その特徴は、なんといっても古墳の形がよく残され、木々も生い茂ることなく、およそ1400年以上前の、古墳が造られた頃に最も近い景観が今も保たれていることです。

ここには、前方後円墳が台地の縁に沿って立ち並び、前方後円墳の間には円墳がギッシリとすき間なく造られています。台地の小高い丘(高取山)の麓には、ひときわ大きな古墳が2つ。女狭穂塚古墳と男狭穂塚古墳は圧倒的な威容をたたえ、南九州の雄として君臨する勢力の大きさを表しています。

また、土星のような形の「鬼の窟古墳」は円墳の周りに土塁が巡る全国的にも珍しい形で、岩で出来た石室がぽっかりと口を開け、その内部の空間に入ることができます。さらに、数は少ないですが方墳も造られました。

豊かな自然環境のもと、交通の要衝であった西都原では、約400年の歳月をかけて古墳づくりに励みました。その結果、青い空と緑の山々を背景にした壮大なパノラマの古墳景観が生まれたのです。

そこは、見渡すかぎりに広がるたくさんの古墳という別世界。時間が止まったような空間を訪れる誰もが古代の人々になったような錯覚に陥ることでしょう。朝日夕日に輝き月夜の下で照らされる古墳は、昼間とは趣が異なって神秘的な雰囲気が漂います。

小高い古墳の頂きや高取山の展望台に立てば、大きな鍵穴の間に無数の小さな水玉が見え、それはまるで台地に絵を描いたかのようです。秋冬の季節は古墳の色が緑から茶や赤色などに変わるので、春夏の頃とはひと味違う光景になります。

左:土星のような形の古墳/右:台地に描かれた模様のような古墳の群れ 左:土星のような形の古墳/右:台地に描かれた模様のような古墳の群れ

西都原古墳群の周辺に広がる様々な古墳景観

西都原古墳群の他にも、建築物が周りにない古墳群が広がっています。

新田原古墳群
一ツ瀬川東部の台地上にあり、見渡す限りの広大な田畑の中に、水神塚、機織塚、百足塚などと名付けられた前方後円墳をはじめ、円墳や方墳が浮かぶように点在しています。
古墳時代の人々が造った古墳と、後世の人々が生み出した田畑が共にある景観は、古墳の存在を壊さずに開墾されたことで形作られましたが、そこには現在に続く古墳へ畏敬の念が根底にあったのです。また、百足塚古墳から出土した古墳時代の暮らしぶりをイメージさせるユーモラスな埴輪も見ることができます。

生目古墳群
大淀川河畔の小高い丘陵に広がるこんもりとした木立の群れ。実は、前方後円墳や円墳の今の姿です。その一角に、ひときわ輝く前方後円墳が一つ。白い石で表面を覆った当時の姿に復元されたもので、その頂きに立てば、昔日の威容と造形美、古墳造りのエネルギーが体感できます。
生目古墳群には、古墳が造られてから悠久の時間を感じさせる森と化した古墳と当時の姿に復元された古墳が対照的に体感できる景観が備わっています。

蓮ヶ池横穴群
海辺に近い蓮の花咲く池のほとりにある、列島最南端の横穴墓です。丘陵の固い岩盤に横穴を掘って造ったお墓で、造り終わった後は、丘陵全体が照葉樹や落葉広葉樹の森林となり、忘れ去られた様にひっそりとたたずむ景観になりました。今も自然のままに時を重ねています。

持田古墳群
小丸川北部の台地に広がる田園風景の中に、計塚や石舟塚、山の神塚と名付けられた前方後円墳とともに多くの円墳が造られており、日常の営みの中に古墳があることを感じられます。
また、東に向かって舌状にのびる台地上にも多くの古墳が点在しており、先端部にある前方後円墳周辺には、昭和初期に大規模な乱掘にあった歴史を憂い、古墳に眠る人々の霊を慰めるために造られた巨大石像群が寄り添います。
その前方後円墳の眼下に広がる田畑を越えて、東に遠く広がる日向灘の青海原の景色に、遥か古墳時代を生きた人々の抱いた海の向こうにある大王の国への憧れに思いを馳せることができます。

左上:田園風景の中の新田原古墳群/右上:ユーモラスな埴輪たち(新田原古墳群)/左下:白亜に輝く古墳(生目古墳群)/右下:自然と一体化した横穴墓群(蓮ヶ池横穴群) 左上:田園風景の中の新田原古墳群/右上:ユーモラスな埴輪たち(新田原古墳群)/左下:白亜に輝く古墳(生目古墳群)/右下:自然と一体化した横穴墓群(蓮ヶ池横穴群)

「古墳」の世紀を体感する

多くの古墳があることで、女狭穂塚古墳に埋葬されているとされる木花咲耶姫の話を始め、古墳に関わる数々の神話や伝説、祭事などが生まれました。

また、生目古墳群(4世紀)→西都原古墳群(5世紀)・持田古墳群(5世紀)→新田原古墳群(6世紀)、さらに蓮ヶ池横穴墓群(6~7世紀)へと繁栄を極めた順に巡れば、南九州の豪族達の栄枯盛衰を感じることができ、副葬品や埴輪といった古墳からの出土品を鑑賞することで、古墳時代の生活を実感できます。

このような古墳の楽しみ方ができるのは、宮崎平野の古墳群だけです。さあ、ゆっくりと古墳探訪のひとときを過ごしてみませんか。
日本遺産 南国宮崎の古墳景観活用協議会

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