藍のふるさと 阿波〜日本中を染め上げた至高の青を訪ねて〜STORY #081

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藍のふるさと 阿波 〜日本中を染め上げた至高の青を訪ねて〜 藍のふるさと 阿波 〜日本中を染め上げた至高の青を訪ねて〜
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みどころspot

  • 鴨島公民館 藍蔵を模した建築物

    鴨島公民館 藍蔵を模した建築物

    鴨島公園内に建設された、藍蔵を模した地上5階建て615席の大ホールを擁する公民館である。
    建設当時(昭和50年代前半)は、町内には大小多数の藍屋敷が残っており、藍染料を造っていた歴史や文化が語り継がれていたことを裏付ける資料でもある。
    また、藍屋敷や藍蔵が次々に失われつつあり、藍で栄えた痕跡を後世に残さなけらばならないという強い危機感や思いが込められ、このデザインが採用されたと考えられる。

    徳島県吉野川市鴨島町鴨島甲1-1
    0883-24-5111

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  • 西麻植会館前 藍商人 石原六郎の頌徳碑

    西麻植会館前 藍商人 石原六郎の頌徳碑

    南隣にあった旧西尾村役場跡から移設した、藍師兼藍商人の石原六郎、工藤半平、東京計器(株)創業者である和田嘉衡の功績をたたえる石碑である。
    石原六郎は、1873(明治6)年に飯尾に生まれ、家業の阿波藍の製造販売に従事し、販路は関東、関西、九州に及んだ。1903(明治36)年にドイツ人ボッテルと特約し、はじめて人造藍を輸入し、同志とともに大同藍株式会社を設立し、東京、大阪に営業所を設けて全国に販売した。阿波人であって阿波藍に対抗したのである。
    1915(大正4)年に郷土史書を集めて飯尾に呉郷文庫を作り、一般に開放したり、呉郷育英社を作って高等学校及び大学の秀才学生の学資を給与したりして英才教育に努めた。

    徳島県吉野川市鴨島町西麻植字中筋46-1

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  • 川真田徳三郎君碑 北カネマン

    川真田徳三郎君碑 北カネマン

    川真田徳三郎は、1860(万延元)年に、藍商の家(北カネマン)に生まれた。
    1885(明治18)年に県議会議員をふりだしに政界入りし、1890(明治23)年の第1回衆議院議員に30歳の若さであげられ、連続7回、計9回に及び当選した。
    実業界では、本家の川真田市太郎(本カネマン)と協力して阿波藍製販の改善や、1887(明治20)年には阿波国共同汽船(株)を輿し、1898(明治31)年には阿波藍(株)を大阪北堀江に設立し、初代社長となり、阿波藍の大阪売りの大多数を取り扱った。1899(明治32)年には、徳三郎の取り纏めで阿波藍製造販売同業組合が結成され、市太郎とともにその首脳となった。
    最も大きな功績は、1899(明治32)年に徳島鉄道(株)を設立し、社長となり、鴨島駅(藍屋敷前・工場)から徳島駅(藍場浜・倉庫、船場・店舗)まで鉄道を敷いたことである。後に小松島駅(阿波国共同汽船乗り場・港)まで敷設した。
    1918(大正7)年に58歳で逝去された。この功績は、松方侯爵、芳川顕正伯爵(川田村出身、東京府知事・各大臣を歴任、漢詩家)による碑文(漢詩)として残されている。
    1918(大正8)年11月建立。この石碑は元々は鴨島公園の中央に設置されていたが、1992(平成4)年に公園の再整備を行った際に現在地に移転した。

    徳島県吉野川市鴨島町鴨島甲1-1 鴨島公民館東側国道318号沿い公園

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  • 鴨島大菊人形 菊遊座と菊人形会場

    鴨島大菊人形 菊遊座と菊人形会場

    藍商から製糸業に転換した筒井製絲(株)の工場前に、大正14(1925)年の秋に「鴨島菊人形」の旗を見たのが菊人形のはじめであります。
    実業家筒井嘉太郎氏が鴨島菊遊会を組織し、昭和2(1927)年に藍商の本カネマン川真田市太郎氏から2千坪の土地の提供を受け、本カネマン藍屋敷(吉野川市民プラザ)東隣の広い畑(現ハローワークの西側)に、菊遊座を備えた会場を開設し、菊人形、四国菊花品評会が開催されました。その後、会場は有楽座、有楽園、江川遊園地、鴨島駅前と移りかわり、現在は吉野川市役所前広場で開催されています。
    菊遊座では阿波源之丞座による「阿波人形浄瑠璃」も上演されていました。
    藍商人は地域の文化や芸事の発展に貢献しました。

    徳島県吉野川市鴨島町鴨島252-1 吉野川市民プラザ(本カネマン藍屋敷跡、菊遊座跡は東隣)
    https://www.city.yoshinogawa.lg.jp/docs/2010100700678/

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  • 藍作地方特有の氾濫地帯の土地利用 外間(そとま)と呼ばれている吉野川河川敷内の畑

    藍作地方特有の氾濫地帯の土地利用 外間(そとま)と呼ばれている吉野川河川敷内の畑

    良質な藍づくりの鍵は、雄大な吉野川にある。日本三大暴れ川の一つである「四国三郎」吉野川は、たびたび氾濫し、流域は甚大な被害を受けた。
    その反面、洪水によって肥沃な土壌がもたらされ、豊富な伏流水にも恵まれたため、「阿波の北方」は、藍の栽培に適した土地となった。
    かつては、あたり一面藍畑だった阿波の北方の景色も、時代とともに変化しつつある。藍作の衰退後、養蚕業が盛んになり多くの畑が桑畑に変わったが、現在では出荷量日本一を誇る春ニンジンやスイートコーン「甘々娘」の他、野沢菜等、有数の園芸作物地帯となった。
    吉野川流域のかつての藍作地方特有の氾濫地帯では、特に柔らかくて甘い春ニンジンや、特に糖度が高くて甘いスイートコーン「甘々娘」が育つことで知られ、現在も吉野川の恩恵を受けている姿を見ることができる。

    徳島県吉野川市鴨島町知恵島(吉野川河川敷:外間(そとま))

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