甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡~水晶の鼓動が導いた信仰と技、そして先進技術へ~STORY #091

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甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡 ~水晶の鼓動が導いた信仰と技、そして先進技術へ~ 甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡 ~水晶の鼓動が導いた信仰と技、そして先進技術へ~
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ストーリーSTORY

昇仙峡一帯の山地は、
水の塊と信じられていた水晶を産出する水源信仰の地であり、
地域を流れる荒川上流を訪ねると、
悠久の時をかけた浸食により形成された大小の滝や巨石、奇岩に驚かされます。
水が作った芸術品ともいえるこの渓谷美は、
江戸時代末期に行われた新道開削により奇跡的に出現したものですが、
地域の人々の熱意により日本有数の景勝地として磨きあげられてきました。
そして、昇仙峡一帯で産出された豊富な水晶とその加工技術は、
匠の技として日本一のジュエリー産業の基盤となり、
更には人工水晶製造技術へと繋がってスマートフォンなどの電子機器に使用されるなど、
過去から現代に至る私たちの生活を支えているのです。

【はじめに】

金峰山を源とする「荒川」は、隆起した花崗岩山地を悠久の時をかけ浸食し、芸術的ともいえる渓谷美と貴重な水晶をこの地にもたらしました。

この「昇仙峡」の険しくも美しい造形美は、信仰の場として、また、優れた文芸のモチーフとして古くから人々の心をとらえ、さらに、水晶は山梨県の宝飾産業の基盤を形成し、現代の女性を魅了するジュエリーや、スマートフォンなどの最先端技術に繋がっていきます。

【日本有数の水晶産地】

黒平産出の水晶 黒平産出の水晶

水晶は、花崗岩とともに産出されることが多い鉱物ですが、綺麗な六角形で長い結晶は、特定条件(摂氏573度以下の熱水中)でないと形成されないため、日本における水晶の産出地はそれほど多くありません。金峰山周辺の花崗岩を主とする地質には、黒平地区など、優れた結晶が産出される水晶鉱床がいくつもありました。
水晶の発見は水源信仰と結びつき、研磨されて金櫻神社の御神宝となっているなど、この地の信仰と深く結びついているのです。

【多くの信仰を集めた金櫻神社と御嶽古道】

金峰山は富士山と並ぶ信仰の山であり、その里宮として鎌倉時代に建立された金櫻神社は、現在も多くの参拝客で賑わいます。桃山時代には、甲斐武田氏の祈願所としても崇拝され、武田勝頼が奉納した能面八面、住吉蒔絵手箱、家紋散蒔絵手箱などが現在も大切に保存されています。

また、甲斐市には、当時の参詣道の入口に建てられていた鎌倉時代の石鳥居が発掘・復元されています。参詣道入口から弥三郎岳を越えて金櫻神社に向かう険しい道は、御嶽古道と呼ばれ、かつて歌川広重もここを訪れています。

この地に残る石造物群や修験道場として開基された旧羅漢寺の遺構、また、現在の羅漢寺に移されている木造五百羅漢像などに、往時の山岳信仰の様子を感じ取ることができます。

金櫻神社 金櫻神社

【御嶽新道と特別名勝の指定 】

修験道場になるほどの険しい山道しかなかったこの渓谷の地に、江戸時代末期に新たな歴史を刻んだ人物がいます。

昇仙峡の奥地の集落に暮らす長田円右衛門が、親族や多くの協力者とともに9年の歳月をかけて、荒川沿いに新たな道(御嶽新道)を切り拓き甲府城下と奥地の村を結んだのです。特に御嶽新道の途中にある石門と呼ばれる箇所では、険しい岩肌を開削した作業の苦労を偲ぶことができます。

この新道開削は村人の生活を便利にしたばかりでなく、昇仙峡の素晴らしい景観を人々の目に触れるようにした画期的な役割を果たしました。そして、荒川の渓流とともに、花崗岩の風化による節理や水晶を含む白砂と松などの樹木が織りなす景観は、内陸の「白砂青松」と賞され、明治時代から景勝地として道路などが徐々に整備されました。

大正12年には国名勝、昭和28年には特別名勝の指定を受け、麓に湧く湯村温泉とともに山梨県有数の観光地として発展し、今も地域の人を中心に景観維持活動が行われるなど、地域の宝として大切に維持されています。

左・中央:新道開削の難所「石門」/右:「仙娥滝」 左・中央:新道開削の難所「石門」/右:「仙娥滝」

【江戸時代から続く水晶研磨技術とジュエリー産業の隆盛】

金櫻神社には、御神宝として水晶玉が奉られていますが、この水晶玉の加工技術は京都で水晶玉加工販売をしていた玉屋の番頭弥助が水晶買い付けの際、金櫻神社の神官達に伝授したといわれています。

弥助から水晶研磨加工の技術を伝授された神官達は、その後も水晶研磨技術を継承発展させ、江戸時代には甲府の町内で水晶細工物(眼鏡、玉根付、数珠等)の加工販売が始まり、明治時代には地場産業として事業者が集積するようになりました。

やがて、昭和時代には水晶加工品として国内外へ広く流通するようになり、戦後においても、こうした事業者の集積を生かして宝石研磨技術、貴金属加工技術を更に発展させ、企業数約1,000 社を誇る日本一のジュエリー産業の集積地となり、現在に至っています。

甲府市の「山梨ジュエリーミュージアム」では水晶に関わる歴史や工具などの資料を見ることができるほか、現在の名工達の指導のもと、宝石研磨体験メニューも用意されており、誰でも匠の技の一端を体験することができます。

山梨ジュエリーミュージアム 山梨ジュエリーミュージアム

【甲州水晶貴石細工】

甲府市で作られている宝飾加工品のうち甲州水晶貴石細工は、江戸時代から続く伝統的な技術や原材料を用いて作られた工芸品として、昭和51 年経済産業大臣から伝統的工芸品の指定を受けています。

職人の卓越した匠の技により生み出された繊細で芸術的な彫刻品や装飾品は、今でも甲府市内を中心に生産されており、特に江戸時代から続く老舗である土屋華章には江戸期の顧客台帳や工具が保存され、当時から水晶細工が甲府市の重要な産業であったことを知ることができます。

【文学、絵画における昇仙峡】

竹村三陽「仙嶽闢路図」 竹村三陽「仙嶽闢路図」

昇仙峡は、水晶とともに多くの人の心を引き寄せ、明治から昭和初期にかけて多くの歌人が訪れていますが、特に与謝野晶子は数多くの短歌を詠んでおり、甲府市内の山梨県立文学館で鑑賞することができます。

また、絵画でも、浮世絵画家の歌川広重が甲府に逗留した際、昇仙峡の御嶽古道(外道)を訪れスケッチを残しているほか、竹村三陽が新道開削当時の昇仙峡の様子を描いた仙嶽闢路図や、南宋画の三枝雲岱の御嶽新道図などが知られており、いくつかの作品は山梨県立博物館(笛吹市内)で観ることができます。

【名水地と湯村温泉郷】

湯村の塩澤寺 湯村の塩澤寺

昇仙峡の清流は名水としても知られ、甲府市と甲斐市では農業用水や水道水として利用されています。

また、水源地としての昇仙峡は、地下水脈も生み出し地中で温められた水脈は麓では温泉として湧き出し、江戸時代末期には庶民が利用する湯治場として、甲斐国随一の集客を誇る温泉地となりました。

湯村温泉郷は、その後、太宰治や井伏鱒二など文人達の創作の場となったほか、塩澤寺や湯谷神社とともに、昇仙峡観光の宿泊地として多くの人々に親しまれ、今も観光の拠点として利用されています。

【おわりに】

この地域が日本有数の水晶の産地であったことから、山梨大学では戦前から水晶に関する研究が行われ、日本で最初に人工水晶の工業化に成功したことが知られています。
人工水晶は水晶発振子の量産化をもたらし、コンピュータや通信機器の重要部品として広く使われるようになりましたが、このことは、古から人々を魅了してきた水晶の鼓動が、最先端の通信技術を支えているともいえるのではないでしょうか。

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