レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」~龍と生きるまち 信州上田・塩田平~STORY #093

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安楽寺八角三重塔(©岡田光司) 安楽寺八角三重塔(©岡田光司) 安楽寺八角三重塔(©岡田光司)
前山寺三重塔・冬(©岡田光司) 前山寺三重塔・冬(©岡田光司) 前山寺三重塔・冬(©岡田光司)
別所温泉の岳の幟行事(©岡田光司) 別所温泉の岳の幟行事(©岡田光司) 別所温泉の岳の幟行事(©岡田光司)
ため池(舌喰池)(©岡田光司) ため池(舌喰池)(©岡田光司) ため池(舌喰池)(©岡田光司)
前山寺三重塔・春(©岡田光司) 前山寺三重塔・春(©岡田光司) 前山寺三重塔・春(©岡田光司)
別所線と夫神岳(©岡田光司) 別所線と夫神岳(©岡田光司) 別所線と夫神岳(©岡田光司)

ストーリーSTORY

独鈷山と夫神岳から扇状に開ける地・塩田平は、古来「聖地」として、多くの神社仏閣が建てられている。
山のふもとにある信州最古の温泉といわれる別所温泉、「国土・大地」を御神体とする「生島足島神社」、「大日如来・太陽」を安置する「信濃国分寺」は、1本の直線状に配置され、レイラインをつないでいる。
夏至と冬至に、鳥居の中を太陽の光が通り抜け、神々しくぬくもりのある輝きを享受できるのだ。
先人たちが、この地が特別であると後世に伝えようと遺した様々な仕掛けは、今も、訪れる人びとにパワーをチャージさせる。

■信州の学海

前山寺三重塔(重要文化財)©岡田光司 前山寺三重塔(重要文化財)©岡田光司

上田は、険しい山々に囲まれた盆地ゆえに、本州では一番雨の少ない地だ。「おてんとうさま」が毎日のように微笑み、穏やかな気候という特徴は、信濃国分寺が置かれたこと、鎌倉北条氏の一派が終の棲家としてここを選んだ理由でもある。

塩田平には数多くの寺社が建てられ、中国の高僧や多くの学僧が訪れたのは、山を背に構える別所温泉があったことが大きい。豊かな湯で心まで洗われる温泉の楽しみがあったからこそ、僧たちは、この地を訪れたのであろう。

安楽寺木造八角三重塔(国宝)©岡田光司 安楽寺木造八角三重塔(国宝)©岡田光司

別所温泉にある安楽寺を訪れてみると、薄暗い木立の中、見上げるように階段を登った先に、日本唯一の木造八角三重塔が目に飛び込んでくる。微かな光の方向に仰ぎ見る屋根裏の華やかな木組みは、私たちを自ずと厳かな気持ちにさせてくれる。しかも「四重塔」にも見える不思議な形だ。

また、北向観音堂は、善光寺と「両参り」すると御利益が増すという。境内の手水までも温泉を使い、湯煙が立ち上る境内には温泉の匂いが漂う。見晴台に立つと、塩田平から市街地までを見渡せ、我はこの地に降り立ったのだ、という気持ちにさせられる。この地が僧たちにとって「特別な場所」であり、「別所」と名付けられたことも納得できる。湯煙が漂う地に花開いた仏教文化の遺産は、湯浴みの効能のみならず、訪れる人びとを癒している。

■神宿る「山」への祈り

別所温泉の岳の幟行事(国選択無形民俗文化財) ©岡田光司 別所温泉の岳の幟行事(国選択無形民俗文化財)©岡田光司

上田の雨が少ない気候は、風雨が引き起こす災いからこの地の暮らしを守ってきた。しかし、それゆえに神は時として干害などの試練を課してきた。人びとは水源となる山々に神を崇め、祈り、恵みの雨を願った。
500年以上も続く雨乞いのまつりである「岳の幟(たけののぼり)」は、色鮮やかな幟が特徴的だ。「下り龍」を描いた幟で、夫神岳山頂に祀られた「龗”オカミ”」と呼ばれる九頭龍神を山麓の別所神社までお連れする。

龍をかたどったたくさんの幟を迎えるのは、三頭獅子とささら踊りの子どもたち。カラフルな幟と衣装が鮮やかに映え、山間に歌声と太鼓の音が響くころには、本当に、龍からの雨に恵まれる。
山には、古より受け継がれてきた水への憧れと神への畏怖が投影される。龍が宿るこの山は、山菜や松茸など、山の幸をはぐくみ、マツタケ小屋の隆盛につながっている。

■祈りの言葉は「アメ フラセタンマイナ」

ため池(舌喰池)©岡田光司 ため池(舌喰池)©岡田光司

塩田平はため池を造って水を蓄え、ここで温めた水を田んぼに入れて稲の生長を促し、「塩田三万石」と呼ばれる上田随一の穀倉地帯へと変身した。ため池でも「百八手」と呼ぶ雨乞いのまつりが行われる。池の周りを大勢で囲んで「たいまつ」に火をつけ、もくもくと上がる煙のなか「アメ フラセタンマイナ」と唱える。ため池は稲穂をはぐくむだけでなく、マダラヤンマなどの命もつないできた。人柱やカッパなどの伝説は、ため池にも神を崇めていたことをうかがわせる。

前山寺三重塔(重要文化財)©岡田光司 前山寺三重塔(重要文化財)©岡田光司

雨を願う人びとは、時に荒療治として路傍のお地蔵様を川へ放り込んだ。ここでも祈りの言葉は「アメ フラセタンマイナ」。お地蔵様を怒らせてでも、龍(雨)との再会を願っていた。

独鈷山と夫神岳、そして麓の寺社は、常に塩田平の人びとの暮らしに寄り添ってきた。そして、路傍のお地蔵様は、また川に投げ込まれないかと心配して、今日も雨雲を待ちながら空を見上げている。これが「山に神、野に仏」とも言うべき、上田の人びとがつないできた「祈りのかたち」だ。

■未来への懸け橋

生島足島神社 冬至の落陽 生島足島神社 冬至の落陽

このように塩田平には、この地を特別な「聖地」とする景観が遺されている。国土・大地を祀る「生島足島神社」、「大日如来・太陽」が安置された「信濃国分寺」。生島足島神社は夏至には太陽が東の鳥居の真ん中から上がり、冬至には西の鳥居に沈む。太陽と大地は、この神秘的な光景をレイラインとして現代に遺した。

別所線の鉄道施設(未指定)©岡田光司 別所線の鉄道施設(未指定)©岡田光司

そして、この「太陽と大地の聖地」に重なるように遺したもうひとつの景観が、100年前から守り続けてきた鉄道・別所線だ。生島足島神社から、別所温泉までの軌道は、不思議なことにレイラインと一致する。そして、駅をつなぐ線路は、空からみると龍のかたちをしていると言われる。塩田の人びとは龍を特別な神として崇め、祀り、龍とともに生きてきたことを、別所線の軌道に投影して大切に遺してきたのだ。龍の背に乗ってめぐる「太陽と大地の聖地」は、これからも、まぶしいばかりの輝きとぬくもりをもって、訪れる人の心に光を与えてくれるだろう。
レイラインがつなぐ『太陽と大地の聖地』
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