「ジャパンレッド」発祥の地-弁柄と銅の町・備中吹屋-STORY #102
ストーリーSTORY
標高約500mの高原上に忽然と出現する「赤い町並み」。かつて国内屈指の弁柄(べんがら)と銅(あかがね)生産で繁栄した鉱山町・吹屋(ふきや)である。吹屋で生産された赤色顔料の弁柄は全国に流通し、社寺などの建築や九谷(くたに)焼・伊万里(いまり)焼や輪島(わじま)塗等、日本を代表する工芸品を鮮やかに彩り、日本のイメージカラーである「ジャパンレッド」を創出した。富を得た商人たちは赤い瓦と弁柄で彩色された格子(こうし)で家々を飾り、今も残る町並みは、独特の景観を醸し出し、訪れる多くの人々を魅了している。また周辺には、弁柄工場跡や銅山跡等も残り、「ジャパンレッド」を創出した往時の繁栄をしのばせている。
【赤い町並みの景観と魅力】
峡谷沿いの道から山へ分け入り、人家も稀な急峻な山道を進むと、突如として眼前に現れる「赤い町並み」に驚く。赤褐色の瓦で葺かれた屋根、弁柄塗りの格子で鮮やかに統一された立派な町家が道の両脇に並ぶ。岡山県中西部の吉備高原上に位置する吹屋の町並みである。
当地は、かつて弁柄と銅の生産地として繁栄した鉱山町で、備後(びんご)東城(とうじょう)(現在の広島県庄原(しょうばら)市)と備中成羽(なりわ)(現在の岡山県高梁(たかはし)市成羽町)を結ぶ旧吹屋往来の中継地点にも位置し、各種物資の集散地として大いに賑わい、往来沿いには弁柄問屋や宿屋、銅山労働者を対象とした各種の小売商を営んだ家々が軒を連ねた。その財力を背景として、各商家等は石見(いわみ)(現在の島根県西部)から宮大工や瓦職人を招請し、競うように優れた意匠の町家を建築した。そうした地域の人々の活発な営みの中で形成されたのが、他に例を見ない「赤い町並み」の景観である。
【ジャパンレッドを創出した吹屋弁柄】
海外の人々による日本のイメージカラーは、圧倒的に「赤」といわれ、その赤は古来より生命の源、神聖なるものを象徴する色彩とされた。赤色が映える九谷焼・伊万里焼の陶磁器や輪島塗の漆器等、我が国が誇る多くの伝統工芸品に用いられたのは、備中吹屋産の赤色顔料「弁柄」であった。これら優れた工芸品は、遠く欧米の地でも高く評価され、日本的色調の赤である「ジャパンレッド」として認識された。弁柄は、銅山から銅鉱石とともに産出された硫化鉄鉱石を原料とする。硫化鉄鉱石から取り出した緑礬(ろうは)(硫酸鉄の結晶)を釜で焼成し、水槽に入れて不純物を取り除き、細かく粉成、脱酸し、天日乾燥を経て赤い粉末状の弁柄となる。吹屋では、江戸時代中期から弁柄の製造に着手、陶磁器・漆器等の顔料や建築・船舶の防腐塗料として重用され、全国市場を独占した。明治10年(1877)に開催された「第1回内国勧業博覧会」では、「吹屋弁柄」は一等褒状(ほうじょう)を授与され、その良質さと名声は全国に広まった。特に、陶磁器の赤絵や漆器の朱漆には、「吹屋弁柄」は欠くことのできないものとされ、まさに吹屋は「ジャパンレッド」発祥の地といえる。
【国内屈指の銅(あかがね)の生産地】
「吹屋よいとこ 金掘るところ 掘れば掘るほど 金がでる」、吹屋に伝わる俗謡(ぞくよう)にもあるように、国内有数の銅(銅は、その色合いから「あかがね」とも呼称された)の生産地でもあった。伝承によると、当地の吉岡(よしおか)銅山は、大同2年(807)の開坑、戦国時代には有力大名による争奪戦が展開されたが、江戸時代中期には、大坂の泉屋(いずみや)(後の住友(すみとも)家)が経営に参画し、国内屈指の産銅量を誇った。その後、明治時代初期には岩崎(いわさき)弥太郎(やたろう)(三菱商会)が買収し、巨大な資本力と外国の先進技術の導入により、近代的経営を展開、後の鉱山経営の規範となったとされる。
昭和47年(1972)に閉山となったが、現在、鉱山跡地には坑道(こうどう)・選鉱場・製錬所・沈殿槽(ちんでんそう)・トロッコ用トンネル等の遺構がみられ、往時をしのぶことができる。このように、吉岡銅山は、住友・三菱という我が国を代表する財閥が経営に関与した銅山であり、貴重な産業遺跡として評価(近代化産業遺産:平成19年経済産業省)されている。
【吹屋弁柄と銅山の隆盛を体感できる空間】
吹屋の下谷(しもだに)から下町(しもまち)・中町(なかまち)・千枚(せんまい)地区に至る約1.5kmの「高梁市吹屋伝統的建造物群保存地区」(国選定)を散策すると、弁柄の製造に携わった「旧片山家住宅」(国重要文化財)等で構成される赤褐色の瓦と弁柄塗りの格子で鮮やかに彩られた異空間を体感できる。また、町並みの周辺には、弁柄の製造工程を概観できる「ベンガラ館」や弁柄関連で財をなし豪壮な屋敷構えを誇る「旧広兼(ひろかね)家住宅」(市重要文化財)・「西江(にしえ)家住宅主屋等」(国登録)、さらに削岩機の跡も生々しい「笹畝(ささうね)坑道」、三菱の鉱山本部跡地に建築された明治のレトロ感溢れる「旧吹屋小学校校舎」(県重要文化財)があり、それらを周遊すると、「ジャパンレッド」を創出した往時にタイムスリップしたような錯覚をおぼえる。近年、「赤い町並み」を舞台に、幻想的な夜の町並みを映し出す「吹屋ベンガラ灯り」、ベンガラ染めの衣装を纏った踊り連が優雅に舞う「吹屋小唄踊り」、地域の魅力をアートで表現する「吹屋ベンガラート展」や、自転車で疾走する「ヒルクライム大会」等を実施、豊かな自然と歴史・文化が融合した「ジャパンレッド」発祥の地の魅力を広く発信する取り組みを展開し、多くの来訪者で賑わっている。
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