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#044 1400年に渡る悠久の歴史を伝える「最古の国道」

いまいちょう今井町

  • 伝統的建造物群
  • 重要伝統的建造物群保存地区
  • 奈良県橿原市

今井町 今井町

文化財体系 伝統的建造物群/重要伝統的建造物群保存地区
所在地 奈良県橿原市

概要

今井の地名は至徳・元中三年(1386)の興福寺一乗院の文書にみえますが、今井町の成立は戦国の世、天文年間(1532~1555)この地に一向宗本願寺坊主の今井兵部卿豊寿によって寺内町が建設されたことに発します。一向宗の門徒が、都市計画に基づき今井に御坊(称念寺)を開き、自衛上武力を養い、濠をめぐらしました。永禄十一年(1568)織田信長が足利義昭を擁して上洛以来、本願寺は反信長の旗を立て、今井もそれに呼応し、寺を中心とした城塞都市の形態を整え、抵抗しましたが、天正三年(1575)明智光秀を通じて信長に降服し、事なきを得ました。かくして信長から赦免の朱印状が今井郷に下され、「万事大坂同前」として自治特権を許されました。その後、大阪や堺などとも交流がさかんになり商業都市として変貌をとげ、江戸時代には南大和最大の在郷町となって、今井札(銀札)を発行するまで栄えました。

ストーリーの位置づけ

今井町は、戦国時代末期に一向宗道場の寺内町として成立。織田信長に降伏し、自治権を認められると「大和の金は今井に七分」といわれるほど栄え、「海の堺、陸の今井」と称された。今も約500棟の伝統的建造物が残る。

【文責】 橿原市観光政策課

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