鬼が仏になった里「くにさき」STORY #066

シェアして応援!SHARE

松明を持って暴れる鬼 鬼が仏になった里『くにさき』 鬼が仏になった里『くにさき』
鬼が棲む奇岩霊窟「鬼城」 鬼が仏になった里『くにさき』 鬼が仏になった里『くにさき』
鬼と人は長年の友 鬼が仏になった里『くにさき』 鬼が仏になった里『くにさき』
豊な「くにさき」の里(田染荘) 鬼が仏になった里『くにさき』 鬼が仏になった里『くにさき』
岩窟の寺院「五辻岩屋」 鬼が仏になった里『くにさき』 鬼が仏になった里『くにさき』
優しい顔の不動明王(熊野磨崖仏) 鬼が仏になった里『くにさき』 鬼が仏になった里『くにさき』

ストーリーSTORY

「くにさき」の寺には鬼がいる。
一般に恐ろしいものの象徴である鬼だが、
「くにさき」の鬼は人々に幸せを届けてくれる。
おどろおどろしい岩峰の洞穴に棲む「鬼」は
不思議な法力を持つとされ、
鬼に憧れる僧侶達によ って「仏(不動明王)」と重ねられていった。
「くにさき」の岩峰につくられた寺院や岩屋を巡れば、
様々な表情の鬼面や優しい不動明王と出会え、
「くにさき」の鬼に祈る文化を体感できる。
修正鬼会の晩、共に笑い、踊り、酒を酌み交わす――。
「くにさき」では、人と鬼とが長年の友のように繋がれる。

「くにさき」の奇岩霊窟に棲んだ鬼達

ヤマトタケルの父・景行天皇は、熊襲征伐のために、周防灘を渡る時、九州の東に張り出す「くにさき」を発見した。瀬戸内海を渡るヤマトの人々にとって、「くにさき」は異界との境界であり、“最果ての地”の象徴であった。幾重にも連なる奇怪な山塊には、霧や瘴気がたちこめ、どこか不気味で、「鬼」でも出そうな雰囲気を醸し出している。いや、この「くにさき」には、実際に鬼が棲んでいた――。

円形の半島「くにさき」に放射線状に広がる岩峰では、ぽっかりとあいた洞穴を見ることがある。しかも、到底人間が踏み入れられないだろう高い場所にである。そこには途轍もない力を持つ恐ろしい鬼が棲んでいた。かつての「くにさき」は鬼達の棲む異界「大魔所」であった。「くにさき」には、腕力で大岩を割り、割った石を積んで一夜で石段を造ったなど、鬼にまつわる伝説が多く残されている。

左:鬼が棲む奇岩霊窟/右:鬼が築いた石段 左:鬼が棲む奇岩霊窟/右:鬼が築いた石段

「くにさき」では、人と鬼とは長年の友

「くにさき」には、鬼に出会える夜がある。「くにさき」最大の法会「修正鬼会」である。

鬼は松明を持って暴れまわり、火の粉が舞って、咽せるようなな煙が充満する。服や髪に火が付けばちょっとしたパニック状態に陥るし、松明で尻を打たれる「御加持」もかなり手荒であるが、寺の講堂には悲鳴よりも笑い声の方がよく響いている。

それは、火の粉を浴び、御加持を受ければ、「五穀豊穣」「無病息災」等の幸せが叶えられるとされるからだ。「くにさき」の鬼はその法力を使って災厄を払う良い鬼として、人々から厚く信仰されているのである。鬼へのお供えは「飾り餅」「大鏡」などの餅が多い。長い仏事の合間には唐辛子のきいた「鬼の目覚まし」が僧侶達に出され、最後に大きな丸餅「鬼の目」が縁起物として撒かれ、人々は福を分け合う。毎年、修正鬼会によって「鬼の幸」とでも言うべき「くにさき」の産物の豊穣も約束される。

岩戸寺・成仏寺では、講堂での所作が終わると、鬼達は集落へと繰り出す。人々はこぞって鬼を自宅に招いてもてなし、鬼と酒を酌み交わす。「知らぬ仏より、馴染みの鬼」とはよく言ったもので、人々は年に1度の鬼と語らえるこの夜をこの上なく心待ちにしている。

節分のように鬼を払って幸福を得る祭りや、鬼に子どもを脅してもらい良い子にさせる風習は各地で見られるが、「くにさき」の鬼はそれ自体が幸せを運ぶ頼もしい存在である。

左上:松明を持って暴れる鬼/右上:豊かな「くにさき」の里(田染荘)/左下:鬼と酒を酌み交わす/右下:鬼と人は長年の友 左上:松明を持って暴れる鬼/右上:豊かな「くにさき」の里(田染荘)/左下:鬼と酒を酌み交わす/右下:鬼と人は長年の友

鬼に祈る「くにさき」の僧侶達

鬼と人との深い友情の立役者となっているのが僧侶達である。

鬼は古来より不思議な法力を持つ存在として、僧侶達の憧れの存在であった。古代仏教の僧侶達は、鬼の姿を探して「くにさき」の岩峰をよじ登り、鬼の棲む洞穴を削って「岩屋」と呼ばれる修行場を作り出し、岩屋を巡る「峯入り」を創始した。堂や社がなくても、霊窟の神仏に自然に手を合わせる、そんな仏教文化が「くにさき」では千年の歴史を持っている。岩屋の多くは「奥ノ院」と呼ばれて、いまでも各寺院の信仰のはじまりと位置づけられている。

やがて「くにさき」の6つの郷には、最大65ヶ所の寺院が開かれ、「六郷満山」と呼ばれる仏の世界が創られた。そして、六郷満山の殆どの寺では鬼会面が作られ、僧侶が扮する鬼は国家安泰から雨乞いまで様々な願いを叶えてきた。こうして、「くにさき」には鬼に祈る文化が花開いた。現在、修正鬼会が行われなくなった各寺でも、鬼会面の供養を修正鬼会が行われた日取りで脈々と受け継いでいる。

鬼会面の表情はバリエーションに富み、すごんだ顔だけではない。鬼会面をじっと見つめていると、時には笑顔で、時には自慢げに、もしかしたら鬼のくせして目に涙を滲ませながら、里の昔話を聞かせてくれるかもしれない。

左:岩屋を巡る僧侶達(峯入り)/中:岩窟の寺院「五辻岩屋」/右:表情豊かな「くにさき」の鬼達 左:岩屋を巡る僧侶達(峯入り)/中:岩窟の寺院「五辻岩屋」/右:表情豊かな「くにさき」の鬼達

「くにさき」の鬼と不動明王

平安時代、密教文化が「くにさき」に入ってくると、「くにさきの鬼」は「不動明王」と重ねられるようになる。

「くにさきの鬼」の姿を見てみると、不動明王との共通点が見られる。鬼の持ち物の1つである剣は、不動明王の宝剣と同じであり、煩悩を焼き尽くす不動明王の火焔光背は、災厄を払う鬼の松明の炎と通じている。そして何より、「くにさき」の不動明王の多くは、かつて鬼が棲んだ霊験あらたかな岩屋「奥ノ院」にまつられていた。

一般に不動明王は静かに怒りの表情をたたえるが、「くにさき」では丸顔で優しい表情をした像が多い。

真木大堂や無動寺など、平安時代のやわらかな表現を用いた木造の不動明王たち、石造の熊野磨崖仏や川中不動も表情は優しく、目の前に立つと深い安心感を得ることができる。

そして、長安寺の太郎天は、子どもの姿をした「くにさき」の神の像であるが、内部の梵字から不動明王の化身であると知られている。不動明王をあえて柔和な顔の子どもの姿で表し、「神」と「仏」の両方の意味を持たせた、六郷満山の叡智の結集した姿をしている。

様々な姿の不動明王を通じて、「くにさき」の鬼に祈る文化の深さを知ることもできるのである。

「くにさき」では、怖い鬼でも仏となって、人々の願いを叶えてくれる。鬼に憧れ、鬼と会い、鬼に祈り、鬼と笑う。そんな文化が残る「くにさき」で、あなたも鬼と友達になってみないか?

左:鬼と不動明王が持つ「宝剣」/中:優しい顔の不動明王(熊野磨崖仏)/右:不動明王の化身「太郎天」 左:鬼と不動明王が持つ「宝剣」/中:優しい顔の不動明王(熊野磨崖仏)/右:不動明王の化身「太郎天」

【鬼が仏になった里「くにさき」 関連情報サイト】

ページの先頭に戻る