1300年つづく日本の終活の旅~西国三十三所観音巡礼~STORY #074
ストーリーSTORY
究極の終活とは、ただ死に向かって人生の整理をすることではない。
人生を通して、いかに充実した心の生活を送れるかを考えることが、日本人にとっての究極の終活である。
そして、それを達成できるのが西国三十三所観音巡礼である。
日本人は海外の人から『COOL!』だと言われる。
そのように評価されるのは、優しさ、心遣い、勤勉さといった日本人の本来の心であり、
実はそれは日本人が親しんできた「観音さん」の教えそのものである。
観音を巡り日本人本来の豊かな心で生きるきっかけとなる旅、それが西国三十三所観音巡礼なのだ。
人生を通して、いかに充実した心の生活を送れるかを考えることが、日本人にとっての究極の終活である。
そして、それを達成できるのが西国三十三所観音巡礼である。
日本人は海外の人から『COOL!』だと言われる。
そのように評価されるのは、優しさ、心遣い、勤勉さといった日本人の本来の心であり、
実はそれは日本人が親しんできた「観音さん」の教えそのものである。
観音を巡り日本人本来の豊かな心で生きるきっかけとなる旅、それが西国三十三所観音巡礼なのだ。
1300年つづく究極の終活の旅
生きとし生けるものは、いつか命の終わりを迎える。
そこで人は、自分らしい生き方、自分らしい最期を思い描く。
昨今では「終活」と称し、エンディングノートに感謝の言葉や希望の葬儀、お別れ会、遺産分配など人生を振り返って書き残し、憂い無く命を終える準備をする人が増えてきている。
そこで人は、自分らしい生き方、自分らしい最期を思い描く。
昨今では「終活」と称し、エンディングノートに感謝の言葉や希望の葬儀、お別れ会、遺産分配など人生を振り返って書き残し、憂い無く命を終える準備をする人が増えてきている。
しかし、そればかりが「終活」であるとは言いがたい。なぜなら、身の回りの整理ができれば、次は自らの命と向き合わなければならないからである。自分の人生と向き合うことは、老若男女関係なく、誰しもが通らなければならない道である。人は生まれ落ちた瞬間から終わりに向かって生きている。どれだけ健康で若かろうと、限りある今という瞬間をどのように生きるかを考えた時、自ずと終わりが意識される。その時、年代や性別、生活環境を超えて、不安に対する一つの支えとなるのが、日本人が1300年ものあいだ続けてきた、自分の人生に向き合う旅、西国三十三所観音巡礼なのである。
そして、今まさに、「究極の終活の旅」としての価値が見出されている。
そして、今まさに、「究極の終活の旅」としての価値が見出されている。
日本で最初の巡礼、西国三十三所
日本には多くの巡礼の路があるが、西国三十三所観音巡礼は、日本で最初の巡礼である。四国八十八カ所との違いは何か。八十八カ所は山岳信仰などに由来し、海辺や山中で苦行する道を弘法大師とともに歩く修行の旅である。西国三十三所は観音菩薩の慈悲に触れる巡礼で、「遍路」とは呼ばない。板東・秩父などの国内の多くの観音霊場は、西国までの旅が叶わない人の為に、写し霊場として作られたものである。
観音菩薩は、道端で微笑むお地蔵さんとともに、「観音さん」と日本人に最も親しみをもたれてきた仏の一つであるといえよう。なぜ観音は日本人に親しまれたのか。それは、世の苦しみを心の目で観る観音の姿が、日本人のもともと持っているやさしさや真面目さ、心遣い、勤勉さといったものからくる「思いやる心」そのものであったからである。様々な事象に対しての細やかな「気遣い」や「心配り」は昨今海外の人から『O・MO・TE・NA・SHI』と評価されている。観音は、「観音経」のなかにその功徳が説かれ、生きとし生ける者のために33の姿に化身して人を救い、その人がどんな苦難に遭っても救う。それは、日本人にとってまさしく理想の姿であった。往古の日本人も慈悲の象徴である観音に憧れ、自らの心の中の観音と出会い、人生を見つめ直すために旅に出たのである。
「中山寺由来記」によれば、西国三十三所観音巡礼を始めたのは、徳道上人という僧侶であった。養老2(718)年、徳道上人は突然の病により、仮死状態に陥った。そこで冥途に赴いたところ、閻魔大王に出会う。閻魔大王はこのように告げた。「世の中が乱れ、人の心が荒んでいる。そのため、生前の悪行によって地獄に堕ちるものが多くなった。あなたは観音の教えを広め、人々を巡礼に導きなさい」。そして、33の宝印と起請文(誓いの文書)を託され、上人は現世に戻された。上人は各地の観音の霊地で閻魔大王から授かった宝印を配った。閻魔大王の約束の証である宝印を33すべての寺院で集めると、極楽浄土への通行手形となる。これが西国三十三所観音巡礼の始まりであり、現在の「御朱印」の発祥である。
一度は廃れてしまった西国巡礼であったが、徳道上人亡き後、花山法皇がお告げに従って自ら三十三所を歩み、これを再興した。その時、参詣の証に寺院に札を打ち付けたことから「札所」と呼ばれるようになり、花山法皇がそれぞれの寺で観音を称えて詠んだ歌が「御詠歌」となった。
「極楽浄土への通行手形」と閻魔大王が言ったのは、ただ御朱印を集めれば良いという意味ではない。人が西国巡礼を通して自分や他者の優しい心に触れることで、自ずと生前の行いが良くなり、結果的に極楽浄土へと導かれるという意味である。
観音菩薩は、道端で微笑むお地蔵さんとともに、「観音さん」と日本人に最も親しみをもたれてきた仏の一つであるといえよう。なぜ観音は日本人に親しまれたのか。それは、世の苦しみを心の目で観る観音の姿が、日本人のもともと持っているやさしさや真面目さ、心遣い、勤勉さといったものからくる「思いやる心」そのものであったからである。様々な事象に対しての細やかな「気遣い」や「心配り」は昨今海外の人から『O・MO・TE・NA・SHI』と評価されている。観音は、「観音経」のなかにその功徳が説かれ、生きとし生ける者のために33の姿に化身して人を救い、その人がどんな苦難に遭っても救う。それは、日本人にとってまさしく理想の姿であった。往古の日本人も慈悲の象徴である観音に憧れ、自らの心の中の観音と出会い、人生を見つめ直すために旅に出たのである。
「中山寺由来記」によれば、西国三十三所観音巡礼を始めたのは、徳道上人という僧侶であった。養老2(718)年、徳道上人は突然の病により、仮死状態に陥った。そこで冥途に赴いたところ、閻魔大王に出会う。閻魔大王はこのように告げた。「世の中が乱れ、人の心が荒んでいる。そのため、生前の悪行によって地獄に堕ちるものが多くなった。あなたは観音の教えを広め、人々を巡礼に導きなさい」。そして、33の宝印と起請文(誓いの文書)を託され、上人は現世に戻された。上人は各地の観音の霊地で閻魔大王から授かった宝印を配った。閻魔大王の約束の証である宝印を33すべての寺院で集めると、極楽浄土への通行手形となる。これが西国三十三所観音巡礼の始まりであり、現在の「御朱印」の発祥である。
一度は廃れてしまった西国巡礼であったが、徳道上人亡き後、花山法皇がお告げに従って自ら三十三所を歩み、これを再興した。その時、参詣の証に寺院に札を打ち付けたことから「札所」と呼ばれるようになり、花山法皇がそれぞれの寺で観音を称えて詠んだ歌が「御詠歌」となった。
「極楽浄土への通行手形」と閻魔大王が言ったのは、ただ御朱印を集めれば良いという意味ではない。人が西国巡礼を通して自分や他者の優しい心に触れることで、自ずと生前の行いが良くなり、結果的に極楽浄土へと導かれるという意味である。
心を豊かにする景観、文化財
札所ごとに息をのむほどの美しい景色や度肝を抜かれるような仏像を見て、心を豊かにするのも、西国巡礼の魅力のひとつである。例えば、旅の出発点である第1番札所青岸渡寺(和歌山県那智勝浦町)では、那智の滝と朱色の三重塔の調和が美しく、水しぶきを感じながら、この上ない絶景を見ることができる。第8番札所長谷寺(奈良県桜井市)では、高さ10mを超える十一面観音が出迎える。ご開帳の際には御足に触れることができ、足元で心静かに祈りを捧げる瞬間は、観音の慈悲を感じるひとときである。
青岸渡寺の本堂や長谷寺の観音像は重要文化財に指定されているが、このほかにも各寺院には国宝・重要文化財クラスの宝物が多く所蔵されている。信仰の場であると同時に、日本の大切な文化財の宝庫でもあるのだ。
また、形のない文化財もある。花山法皇が詠んだ御詠歌は、五・七・五・七・七のリズムで札所の観音を称えた歌であり、現在も巡礼者によって歌われる。それは、形のない祈りの文化財である。
また、形のない文化財もある。花山法皇が詠んだ御詠歌は、五・七・五・七・七のリズムで札所の観音を称えた歌であり、現在も巡礼者によって歌われる。それは、形のない祈りの文化財である。
門前の賑わい、スイーツを通した人との出会い
充実した心の生活を送るためには、心の穏やかさに気づく必要がある。現代においては、観音巡礼のあいだ、各地のスイーツを楽しみながら参拝をするスタイルが人気である。お菓子には人を和やかにさせる力がある。お参りの後にスイーツを食べる時、「美味しいね」という会話によって人が知り合うことがある。すると、それまでまったく知らなかった人同士の心が通うのである。小さなきっかけによってお互いに信頼し、思いやる心が生まれる。そこにも日本人の心が感じられるのである。
札所の門を出ると、門前には名物や名産の店が並ぶ。かつての旅人たちは、旅の疲れを名物菓子で癒やしたことだろう。それは現代も変わらず、参詣の帰りの土産物を楽しみにしている人は少なくない。
各札所には「スイーツ巡礼」として、それぞれ認定スイーツを掲げ、甘味を楽しみながらの参詣を勧めている。例えば第13番札所石山寺(滋賀県大津市)には、琵琶湖の湖魚や蜆料理の食事処、甘味、骨董品などの土産物が並ぶ門前町がある。その中の一つ、和菓子「石餅」は、石山寺の境内にそびえ立つ硅灰石(国天然記念物)になぞらえた菓子を復刻したものである。参詣者の多くは、この「石餅」をお土産に求め、縁結びのご利益があると笑い合う姿が見られる。
食事をする人が怒っていたり泣いていたりすることはよくあるが、お菓子を食べる人が怒ったり泣いたりしていることはない。スイーツには、人を和やかにさせる力がある。次の札所にはどのような名物・名産が待つだろうと心を躍らせるのも、旅の楽しみの一つであろう。
世の苦しみを心で観る観音へと近づき、日本人本来の豊かな心に気づく旅、西国三十三所観音巡礼。「究極の終活の旅」は“自分らしい生き方”“自分らしい最期”を見つけるための拠り所となるだろう。
札所の門を出ると、門前には名物や名産の店が並ぶ。かつての旅人たちは、旅の疲れを名物菓子で癒やしたことだろう。それは現代も変わらず、参詣の帰りの土産物を楽しみにしている人は少なくない。
各札所には「スイーツ巡礼」として、それぞれ認定スイーツを掲げ、甘味を楽しみながらの参詣を勧めている。例えば第13番札所石山寺(滋賀県大津市)には、琵琶湖の湖魚や蜆料理の食事処、甘味、骨董品などの土産物が並ぶ門前町がある。その中の一つ、和菓子「石餅」は、石山寺の境内にそびえ立つ硅灰石(国天然記念物)になぞらえた菓子を復刻したものである。参詣者の多くは、この「石餅」をお土産に求め、縁結びのご利益があると笑い合う姿が見られる。
食事をする人が怒っていたり泣いていたりすることはよくあるが、お菓子を食べる人が怒ったり泣いたりしていることはない。スイーツには、人を和やかにさせる力がある。次の札所にはどのような名物・名産が待つだろうと心を躍らせるのも、旅の楽しみの一つであろう。
世の苦しみを心で観る観音へと近づき、日本人本来の豊かな心に気づく旅、西国三十三所観音巡礼。「究極の終活の旅」は“自分らしい生き方”“自分らしい最期”を見つけるための拠り所となるだろう。
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