藍のふるさと 阿波〜日本中を染め上げた至高の青を訪ねて〜STORY #081
みどころspot
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【吉野川市】岩の鼻展望台から見える藍の流通の景観
岩の鼻展望台は、吉野川市川島町にある古城山の西端、巨大な青石の岩山の上に位置しています。ここからは、雄大な吉野川の流れ、そして藍の一大産地として栄えた善入寺島を望むことができます。
この景観は、かつて藍の主要な流通路として多くの船が行き交い、藍の生産と流通による地域の豊かな繁栄を支えた吉野川の姿と重なり、「藍の流通の景観」として当時の生産と流通の営みを今に伝えています。
また、古城山には、伊藤枕山が川島城址から吉野川の眺望を詠んだ漢詩の碑が建立されています。
「古城山から吉野川を眼下に見ると、帆掛け船が千艘、鴎鷺のごとく行き来している。」(現代語訳)
この漢詩は、古城山から眺めた吉野川の、数えきれないほどの船が水鳥のように活発に行き交う賑やかな光景を描写し、物資輸送の大動脈として栄えた当時の吉野川の様子を伝えています。
吉野川では、藍や藍作に必要な肥料(干鰯や鰊粕など)、米や塩といった生活物資に至るまで、様々なものが盛んに運ばれました。また、度重なる氾濫を繰り返す一方で、豊かな伏流水と肥沃な土壌を流域にもたらしました。この自然の恩恵により、吉野川流域は藍作地帯として繁栄しました。続きを読む
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【吉野川市】旧富本家住宅および旧山瀬郵便局
「旧富本家住宅および旧山瀬郵便局」は、山川町西久保(旧山崎村)に位置し、伊予街道と種野峠(美郷方面)を結ぶ交通の要衝に建っています。
当家は、藍で栄えた山川町諏訪(旧瀬詰村)の豪農富本家から分家した富本市郎氏によって築かれました。
明治44(1911年)に山瀬郵便局長を拝命し、大正2(1913)年には山瀬郵便局舎を建築。その後、昭和7(1932年)に擬洋風の主屋を、翌8年には裏座敷を建築しました。屋敷内には、大蓋造(おおぶたづく)りの寝床も現存しています。
また、当地は吉野川市市制20周年記念の映画『道草キッチン』のロケ地としても使用されました。
なお、現在活用準備中のため公開されておりませんので、訪問やお問い合わせはご遠慮ください。続きを読む
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川島の浜の地蔵
吉野川市指定有形民俗文化財 2021(令和3)年3月23日指定
日本遺産構成文化財追加認定 2021(令和3)年7月16日認定
川島字城山の岩の鼻展望台の下西側の吉野川に面した麓、川島の浜(川湊)に立ち、周辺の地面の高さから基礎部分を含めて台座高が2m67cmあり、吉野川流域の台座が高い地蔵のなかでは第3位である。
吉野川に溺死した人々の冥福を祈って供養のため、天保14年(1843)4月に建立され、以来、川湊に出入りする船の安全を見守ってきた。
台座には、三界萬霊(過・現・未の関係者の霊を祀る碑という意味、供養塔と同じ)と題して、銘文が刻まれ、願主として、川島の有力な藍師・藍商だった姓と同じものが刻まれており、川島の浜は川島の藍師が徳島の藍市に藍玉を運ぶため船に積み込みをしていた地で、吉野川の川湊として栄えていたことから、藍玉を運ぶ船の安全を願い設置されたとも考えられている。徳島県吉野川市川島町川島210-33 https://www.city.yoshinogawa.lg.jp/docs/2021070800022/ 続きを読む
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阿波人形浄瑠璃人形頭及び阿波源之丞座関連資料
吉野川市指定有形民俗文化財 2021(令和3)年3月23日指定
阿波源之丞座(げんのじょうざ)、深見巴龍(はりょう)・小巴龍(こはりょう)父子が阿波人形浄瑠璃の上演に用いた、人形頭(初代天狗久・天狗弁作)・人形本体・衣装・見台・丸本・床本・鼓・拍子木と興業ポスターである。
若い頃から浄瑠璃に夢中であった深見定一(さだいち)氏(鴨島町飯尾)は、県下義太夫名人の一人として知られていた近所に住む高橋巴龍(本名嘉平)に弟子入り、第一の門弟として二代目巴龍を襲名した。阿波の伝統芸能である人形浄瑠璃の衰退を憂いていた定一氏は、せめて一座でも人形座を残したいとの思いから、昭和13年(1938)、廃業した三好郡の笹山金太夫一座を買取り、これを記念して鴨島の菊遊座(藍商の本カネマン:川真田市太郎氏が土地を提供し、本カネマン藍屋敷(現在の吉野川市民プラザ)東隣に開設)で5日間の興行を座主として取り仕切りした。その後も木偶(でこ)を買い求め、座名も「本家阿波源之丞座」と改め、昭和21年(1946)には、わずか16歳の子息利實(としざね)氏(小巴龍)が父に代わり座主となり、昭和23・24年(1948・49)には一座を率いて「四国路春の巡業」を行うなど県内外で活動している。昭和25年(1950)の天皇来県の際には徳島市の歌舞伎座での人形浄瑠璃公演に協力し、副知事から感謝状が授与された。父子2代で立ち上げ、引き継いだ阿波源之丞座であるが、昭和31年(1956)の大阪産経会館ホールでの興行を最後に一座としての活動は終了した。徳島県吉野川市鴨島町鴨島252-1(吉野川市民プラザ) https://www.city.yoshinogawa.lg.jp/docs/2021032400048/ 続きを読む
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江川遊園地跡
西麻植地区の藍師兼藍商であった工藤家の近くにある西麻植駅は、工藤源助や工藤乕吉が費用の大半を負担して開設したものです。
工藤乕吉の子である工藤鷹助は、西麻植駅の利用者が減少し、廃駅の危機に瀕すると、その存続のために、大衆の憩いの場となる施設の計画を立案しました。そして、所有地2万坪を提供し、昭和6(1931)年に江川遊園地を創設しました。
江川遊園地は、昭和44(1969)年に吉野川遊園地に改称され、平成23(2011)年に閉園されました。現在は、吉野川医療センターになっています。徳島県吉野川市鴨島町知恵島120 続きを読む






