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STORY #104

八代を創造した石工たちの軌跡
~石工の郷に息づく石造りのレガシー~

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STORY

かつて全国で築かれた「めがね橋」の約4分の1が分布する熊本。その殆どは八代で生まれ育った石工たちによって手掛けられたとされています。彼らの卓越した手腕は日本各地で必要とされ、「万世橋」や「通潤橋」などの架設を成功に導き、全国に名声を轟かせるまでに至りました。それ故に、八代は多くの「名石工」を輩出した「石工の郷」と呼ばれています。
 石工たちは、八代に広大な平野と豊かな実りをもたらした「干拓事業」や、地域の交通を支えた「めがね橋」の架設などに携わり、八代の発展と人々の生活基盤づくりに長きにわたって貢献する中で、己の技を磨き上げ、名もなき石工から名石工へと成長していったのです。
 彼らが築いた堅牢な干拓樋門、川面に美しいアーチを描くめがね橋、見事な棚田の石垣などの石造りのレガシーは百余年たった今も、まちの景観や人々の暮らしの中に生き続けており、訪れる人々を「石工の郷」へと誘ってくれます。

詳細を表示 構成文化財一覧 詳細 [PDF 3.9M]

構成文化財一覧

LOCATION

熊本県(八代市)

ACCESS

八代市
  • 鉄道
    • JR博多駅(九州新幹線)~JR新八代駅 (51分)
    • JR熊本駅(九州新幹線)~JR新八代駅 (11分)
    • JR鹿児島中央駅(九州新幹線)~JR新八代駅 (46分)
    • 太宰府IC~八代IC (約120分)
    • 熊本IC~八代IC (約40分)
    • 鹿児島IC~八代IC (約115分)
  • 飛行機
    • 羽田空港~阿蘇くまもと空港(約120分)~新八代駅(高速バス約45分)
    • 伊丹空港~阿蘇くまもと空港(約60分)~新八代駅(高速バス約45分)

CONTACT

  • 八代市経済文化交流部文化振興課
  • TEL:0965-33-4533/FAX:0965-33-4516
  • MAIL:bunka@city.yatsushiro.lg.jp

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八代を創造した石工たちの軌跡

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■育まれてきた「石工の郷」の風土

八代の人々は、阿蘇山の噴火活動により堆積した「凝灰岩」や、良質な「石灰岩」の地層が点在する、この地の環境を活かし、古来より地域で採れる石材を活用してまちづくりを行ってきました。八代城の石垣・干拓樋門・石積みの棚田・めがね橋など、八代各地に現存するこれらの石造建築物の数々は、多くの名石工を輩出した「石工の郷」の風土が、この地で脈々と育まれてきたことを物語っています。

左:八代産石灰岩で築かれた「八代城」の石垣/右:石灰岩の島「水島」

■干拓によってもたらされた平野
-干拓事業と石工の活躍-

現在では、熊本県内有数の農業地帯となっている緑豊かな八代平野も、以前は「お国一の貧地」と呼ばれるほど、平野部が狭く、農業には向かない湿地と干潟が広がる地域でした。そのため、この地では人々の暮らしを豊かにするために、江戸時代~昭和初期にかけて大規模な「干拓事業」が幾度となく行われ、現在の八代平野の実に約3分の2に及ぶ土地が干拓によってもたらされました。この干拓事業には、膨大な数の人夫が動員され、石工たちも石材の切出し、運搬、加工の担い手として長期間にわたって携わりました。これにより、安定的に仕事を得ることになった石工たちは、さらに技に磨きをかけていき、活躍の幅を広げていきました。

特に、文政元年(1818)~2年(1819)に行われた四百町新地、文政4年(1821)に行われた七百町新地の造成事業で石工たちは大いに活躍しました。長年の経験によって培われた技術を活かし、巨石を用いて強固に築かれた「大鞘樋門」に代表される干拓樋門、干拓地を潤す「用水路」、橋の建設などに大きく貢献しました。また、備前から導入した干拓技術の定着にも寄与し、八代の干拓を長きにわたって支える技術者集団として、多岐にわたって活躍しました。

その中でも、石工「三五郎」は、七百町新地造成の際に、石工たちの総取締役に任命され、多くの石工たちを率いて干拓事業の成功に大きく貢献しました。その功績が高く評価された三五郎は、職人が功績によって苗字を許されることが極めて稀であった当時、特例で「岩永」の苗字を名乗ることが認められました。

その名声は、各地の為政者の耳にも届き、薩摩藩に招かれ大型のめがね橋の架橋をおこなうなど、活躍の場を更に広げていくことになりました。

広大な干潟を開拓した干拓事業を契機として、技術を磨き上げた「名もなき石工」たちは「名石工」として、歴史の表舞台に躍り出ていくことになったのです。

左上:石工たちが築いた「大鞘樋門(殻樋)」/ 右上:石工「岩永三五郎」の墓
左下:岩永三五郎架設と伝わる「鑑内橋」/中央下:干拓によってもたらされた「八代平野」/右下:干拓地に残る「旧郡築新地甲号樋門」

■石工たちの技の結晶-めがね橋-

「めがね橋」の架設技術は、中国やオランダから九州の長崎に伝わった技術がこの地に伝わったとも、地域の石工たちが、自然が生み出した「白髪岳天然石橋」の見事なアーチの造形から着想を得て、架橋技術を編み出したともいわれています。そしてその技術は、多くの石工たちが生活した山間部の種山地域(現八代市東陽町)を中心に、八代各地で脈々と受け継がれてきました。

八代では、江戸時代末から昭和初期にかけて、地域住民が架橋費用を工面し、住民主体で「めがね橋」が架けられていきます。そのため、石工たちは実用性に重点をおき、地域の人々の要望や予算に合わせ、無駄を出来るだけ省いためがね橋の架橋を行ってきました。

八代で架けられためがね橋の多くは、橋の強度を大きく左右するアーチ部分は丁寧な加工を施した石材を使用する一方、壁石には各地で簡単に手に入る自然石を使用しており、できる限り費用を抑えながらも、丈夫な橋を架ける工夫が施されています。

めがね橋の架設を手掛ける中で、石工たちは石材加工技術だけでなく、依頼主の要望に応じた細やかな設計、人脈を駆使した人材・資材確保、資金運営までをトータルで行う優れた経営技術を磨き上げ、日本最高峰のめがね橋架橋技術を有する技術者集団へと成長していきました。

明治以降、風水害に強い石造建築物の需要が高まる時代の中で、安定した物流を支える石橋、山間部の農業を支える水路橋など、日本各地で石工たちの技術が必要とされるようになりました。そのため、「橋本勘五郎」に代表される優れた石工たちは、急速に近代化する首都東京の交通を支えた「神田万世橋」(東京都)、熊本の山間部の農業を支えた日本最大級の石造水路橋「通潤橋」(熊本県)をはじめ、全国各地で多くのめがね橋の架橋を成功に導くなど、活躍の場を日本全国にまで広げ、日本の近代化の足元を支えることになりました。また、かつて全国で2000基以上架けられためがね橋の、実に約4分の1の架橋に八代の石工が携わったとも伝えられるほど、その名声は全国に轟くことになり、多くの「名石工」を輩出した八代は「石工の郷」と呼ばれるようになったのです。

その八代では、江戸時代末から昭和の始めにかけて、「鍛冶屋橋」のような5mにも満たない橋から、「笠松橋」のような20mを超える橋に至るまで、90基を超えるめがね橋が架けられました。そして、石工たちが魂を吹き込み、時に命を掛けて造った大小さまざまなめがね橋の数々は、風雪や豪雨にも耐え、今なお優美さと強健さを備えた「永代不朽の橋」として地域の人々に愛されています。そして今も、46基を数えるめがね橋が八代の人々の生活の中で生き続けています。それらは、石工たちの技術力の高さだけでなく、この地で江戸時代から昭和に至るまでの長い間、石工たちが活躍していた証を今に伝えています。

左上:自然が生み出した「白髪岳天然石橋」/ 右上:「鹿路橋」
左下:今も人々の生活を支える「笠松橋」/中央下:「笠松橋」/右下:石工「橋本勘五郎」の写真

■石工の活躍がもたらした豊かさ

八代の人々は今もなお、石工たちの活躍がもたらした恩恵に与っており、石工たちが築き上げた功績に対し、尊敬の念を抱き、心の拠り所としています。石工たちの活躍が成功に大きく貢献した干拓事業は、広大で実り豊かな平野だけでなく、多くの入植者と共に大鞘節や女相撲といった個性豊かな文化を八代にもたらす契機となりました。干拓平野では、日本一の生産量を誇るい草をはじめとする様々な農作物が生産されているだけでなく、工事の苦労を偲んだ干拓民謡や伝統芸能が今も受け継がれ、その多様で独自の文化はまちに賑わいを与え続けています。また、石工たちの生活拠点であった山間部には、めがね橋だけでなく、石工たちの高度な技量と遊び心を垣間見ることができるひねり加工が施された石灯籠や山肌を覆う美しい石積みの棚田の景観などが残されており、「石工の郷」の雰囲気を醸し出しています。

セメント・コンクリート時代の到来とともに、めがね橋をはじめとする石造建築物の需要は減少していき、その多くは造り替えにより、建てられてから数十年で日本各地から姿を消し、石工たちの姿も途絶えていきました。しかし八代では、干拓樋門やめがね橋など、数々の石造物が、百余年たった今も、地域に根付き、人々に大切に受け継がれ、各地で生き続けています。そして、それらは、近代化する日本の足元を支えた石工たちの活躍の歴史を今に伝えており、この地を訪れる人々を「石工の郷」にいざなう、時代を超えた懸け橋となっています。

左上:い草の田植え/ 右上:干拓民謡「大鞘節」
左下:干拓地で披露される「女相撲」/中央下:石工の郷に残る「ひねり灯籠(若宮神社)」/右下:石工の郷に残る「ひねり灯籠(菅原神社)」

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