一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~STORY #049
みどころspot
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倉敷民藝館
江戸時代後期の米倉を改装し、1948(昭和23)年に日本で二番目の民芸館として開館しました。館内には約15,000点の民芸品を所蔵しており、そのほとんどは初代館長の外村吉之介が、国内はもとより世界各地から収集したものです。
白壁と黒の貼り瓦が美しいコントラストを描いているこの建物は、倉敷美観地区における古民家活用の第一号であり、伝統的建造物保存のきっかけとなりました。倉敷市中央1丁目4-11 086-422-1637 http://kurashiki-mingeikan.com/ 続きを読む
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民芸品
大原孫三郎が民芸運動を支援したことで、倉敷に民芸文化が花開き、酒津焼・羽島焼・倉敷ガラス・緞通など数多くの民芸品が生まれました。
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高梁川(たかはしがわ)東西用水取配水施設【国指定重要文化財】
高梁川東西用水取配水施設は、高梁川の下流に位置する農業用水施設です。治水を目的とした高梁川改修工事の一環として実施され、樋門は内務省大阪土木出張所の設計により1924(大正13)年に、事務所は1926(大正15)年に竣工しました。
樋門はいずれも鉄筋コンクリート造で、酒津取水樋門は表面全体に花崗岩の切石を積む荘重な外観、南配水樋門は15連からなる大規模な構造物です。
高梁川東西用水取配水施設は、近世以来の小規模な取水施設を統合して、水利用の合理化と施設の大規模化が図られた近代農業用水施設のうち、大正期における最大規模のものとして重要なものです。また、大正期に全国的に導入が進められた鉄筋コンクリート造樋門の現存例としても貴重であり、農業土木技術史上価値が高いものです。
倉敷市酒津2826 086-422-0219 http://www.city.kurashiki.okayama.jp/30234.htm 続きを読む
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一の口水門【市指定史跡】
西高梁川からの灌漑用水路を拡張・整備し、高瀬舟の運行を可能にしたのが高瀬通しです。完成した年代についての正確な記録はありませんが、1664(寛文4)年頃であろうとされます。一の口水門とその下流約350mの二の水門、通称船溜水門との間で水位の調整を行い、高梁川流路との高瀬舟の出入りを容易にしたものです。
一の口水門から、水江又串、元組、長崎鼻・長尾・爪崎南端を経て七島東端、さらに羽黒山麓へと連なるもので、これによって短い時間と距離で松山藩の外港・玉島港への舟運が開かれました。水門の構造は一の口と二の水門の一部で創設時の状態をとどめています。
一の口水門はその遺構が良好に残されており、17世紀の後半から20世紀の初めまでの長期間にわたって続いた高瀬舟による物資輸送のことを今に伝える重要な遺跡です。倉敷市船穂町水江 http://www.city.kurashiki.okayama.jp/5531.htm 続きを読む
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磯崎眠亀(いそざきみんき)記念館【国登録有形文化財】
非常に精巧な花莚「錦莞莚(きんかんえん)」の発明で知られる磯崎眠亀の住宅兼作業場として、1874(明治7)年に建築されたものです。保存・修理を経て1988(昭和63)年に「倉敷市立磯崎眠亀記念館」として開館されました。
基本的には、通り土間を持つ二列型の町屋の平面をしていますが、機能・意匠の両面において発明家らしい眠亀のアイデアが随所に見られます。最大の特徴は、建物の昇り降り用に、階段でなくスロープを配置した点にあります。これは、物資の搬入・搬出を素早く、そして楽に行おうとするものです。また、土間の吹き抜け部分には滑車が設けられ、ここから物資を出入することも可能なように工夫されています。他にも、式台形式の玄関の戸は、菱形の桟(さん)が入り、回転と横滑りによって開閉する珍しい形式です。二階の窓には、外に向けて突き出す独特の雨戸がつけられています。倉敷市茶屋町195 086-428-8515 http://www.city.kurashiki.okayama.jp/5841.htm 続きを読む